関西寒蘭会第52回本花展優勝花(2023年度)
  • 総合優勝 白妙 西村 和久
  • 青々花 銀風 岩本 孝之
  • 青花 高陽 植田 良夫
  • 素心 竜雪 植田 良夫
  • 素心 紫音 植田 良夫
  • 桃花 三世冠 西村 和久
  • 黄花 荒城の月 植田 良夫
  • 青々花 銀鈴 圓尾 栄
  • 更紗 無銘 宮崎 満
  • 青花 利根 岩本 孝之
  • 五味チャボ 宮崎 満
  • 縞花 天山 岩本 孝之

寒蘭展 審査報告---審査部---

出展数は例年よりやや少なめでしたが、全体のレベルが高く、特に優勝花は丹精と技術が感じられました。
総合優勝は白妙です。七輪咲きで、花の向きが整えられ、姿に品がありました。作者の丹精と技量が感じられました。鉢も見事でした。
加西フラワーセンター長賞は、これも七輪咲きの銀風です。花軸のかすかなゆらぎ、花の風情にどこか女性的な趣がありました。阿波の青々花の特徴をよくとらえていました。
相生園芸賞は高陽です。花軸あくまで高く伸び、十輪咲き大株。弁幅があり、全体に力強い作品でした。鉢もよい物でした。
白花優勝は竜雪です。七輪咲き、花軸がよく伸びて、葉姿もよく、見事は作品でした。
紅花優勝は紫音です。濃紅三角咲き無点。花は三弁がピンと張って、またどっしりとした趣がありました。
桃花優勝は三世冠です。六輪が葉上高く抜けてよし。葉のハケも残り、葉傷みがひとつもない。やや紫がかった桃色もよく出ていました。
黄花優勝は荒城の月です。やや小花ながら、九輪がよく伸びて、黄に緑が縁取る色合いも見事。葉にハケが残って、作のよさを感じました。
青々花優勝は銀鈴です。五輪咲き、花形よく、花色よく、青々花らしい品がありました。
更紗花優勝は阿波の無銘です。細弁の大輪花で、弁先までスッキリとして、細葉の木姿もよい。いかにも阿波の花らしい花でした。
青花優勝は利根です。四輪咲きながら、花に濁りがなく、弁先よく伸びて、スッキリ清々しい花でした。棚に一つ入れたいような花です。
チャボ花優勝は土佐産の五味チャボです。更紗四輪咲き。いかにもチャボらしく神経の行き届いた作品です。花はスッキリとさわやかな印象です。
柄物優勝は天山です。かつては大変高価な花でした。五輪が咲いてちょうど見頃、やさしく女性的な花でした。花も葉も覆輪、小振りながら、うまくまとめた作品でした。
その他、賞には入りませんでしたが、尾鈴産の紅花は弁幅があり、厚弁でどっしりとした見応えのある花でした。また青無銘の小花はベタ舌で、清潔感があり、かわいらしい花でした。更紗銅賞の夕陽の舞はベタ舌よく、よく花軸が伸びて上品でした。紅花銅賞の赤龍はまだ開ききっていないが、紅色濃く、印象に残る作品でした。銘品にも新しいものがあり、無銘花にも珍しいものがあり、それらとの出会いも楽しいものがあります。今後とも、皆様の自慢の力作を期待いたします。

Back to top

幽香会 春蘭展(2023年度)
  • 総合優勝 紅花 優香 植田 良夫
  • フラワーセンター賞 素心 大青海 西村 和久
  • 相生園芸センター賞 紫花 南大門 吉田 芳信
  • 紅花 紅千鳥 平井 裕
  • 朱金 富士の夕映 植田 良夫
  • 黄花 黄鶲 西村 和久
  • 紫花 藤娘 平井 裕
  • <素心 青宝 吉田 芳信/li>
  • 複色花 金龍冠 西村 和久
  • 青花 赤萩 植田 良夫
  • 変わり花 大勲位 平井 裕
  • 豆花 碧玉圓荷 西村和久
  • その他花 白鷹 植田 良夫
  • 台湾・中国花 翠鈴 平井 裕
  • 無銘(自然交配)甲浦産 林 淳浩

春蘭展 審査報告 ---審査部---

総合優勝は優香です。二輪咲きですが、最高の紅の発色、他の追随を許さない見事な花でした。絵柄の鉢もよし、漢詩が書かれてありました。
加西フラワーセンター賞は光琳です。かつての名花ですが、最近はあまり見られませんでした。朱金が輝くようで、愛らしい作品でした。
相生園芸センター賞は南大門です。韓国産の稀少な花と聞きます。味のある深い柔らかい紫が何ともいえないすばらしいものでした。
紅花優勝は紅千鳥です。三輪咲き、発色がよく、木姿もよい。独特の鉢に入って、手練れの作と見えました。 朱金花優勝は富士の夕映です。九輪咲き、発色よく、 大株に仕立てても見応えがありました。王朝風の絵柄の鉢も趣あるものでした。
黄花優勝は金龍冠です。独特の黄の色、品のある姿に仕立てて、鉢も凝ったものでした。日頃の熱の入れよう、丹精ぶりが見える作品でした。 紫花優勝は藤娘です。濃紫ではないが、野花のような、どこか懐かしさを感じる優しい紫花でした。
素心花優勝は青宝です。豆花二輪、梅弁のかわいらしい花でした。
青花優勝は赤萩です。紫ベタ舌見事です。上品な花で、これも作者の力量を思わせました。
豆花優勝は碧玉圓花。ガシ葉で上に盛り上がる厚い葉が見応えがある。花は二花ずつ着けて、二本立ち。丸い花がくっついたよう。
変わり花優勝は大勲位。突起弁で副弁にやや紫がかかります。三輪咲き。
その他、複色花の星の鈴、中国花の翠鈴、交配種の藤娘、紅花の篤姫、満宮、篝火、複色花の奥州路、豆花の道祖神、白花の白鷹、白桃などが目を引きました。お棚にはまだまだ秘蔵の花もあるようで、ぜひ出展して、拝ませていただきたいものです。今後に期待いたします。

Back to top

渋谷博さんの思い出
岩本孝之


長らく本会の会長を務められた渋谷博氏が、昨秋ご逝去されました。蘭会でお世話になった一人として、心から哀悼の意を表しますとともに、思い出をいくつか述べさせていただきます。以下、少々勝手なもの言いになりますが、ご容赦ください。
私にとって、渋谷さんは関西寒蘭会そのものです。渋谷さんがいない会は、主人にいない空屋のような気がしています。渋谷さんと初めて出会ったのは、私が蘭を始めて間もなくの頃、昭和六十二年でした。関西寒蘭会で四国の寿楽園に行くことになり、そこで初めて話をしました。当時は豊雪が人気で、私もほしいと思っていました。渋谷さんが「うちにあるで」というので、後日神戸市ひよどり台の官舎にお邪魔しました。狭いベランダに蘭舎を置いて、きちんと並べてありました。新芽付きの一本立ちを分けていただき、興奮して帰ったのを思い出します。奥様もとてもいい方で、食事をごちそうになったりしました。私は当時職場の悩み事が多く、蘭が救いでした。週末になると、渋谷宅にお邪魔して、御神錦や司の華、大泉、渋谷さんが命名した月の童などを分けていただきました。今も我が温室にあります。その頃は寒蘭はとても高価で、花の咲くような木は手が届きません。渋谷さんは根っからの蘭好き、蘭の申し子のような人で、お金に糸目を付けず、好きな花なら四国でも九州でも出掛けて行って、「これが本物だ」と自慢していました。名前だけでなく、系統を調べ、原作者(最初の命名者)を尋ねたりしていました。
蘭作りは土作りから肥料作りまで、人まねできないほど、徹底していました。独特の発酵肥料作りを教えてやるというので、会の者が何人かお宅へ行って、蟹の甲羅をつぶしたり、藁を刻んだり、一日がんばって持ち帰りました。しかし後でうまくいい肥料ができたとは聞かないので、やはりこれは渋谷氏ならではのものだったのでしょう。鉢を空けると、根傷みなく真っ白、花はもちろん葉の一本一本の流れまで、気を配っていました。関西寒蘭会の優勝の常連でした。それもうべなるかなです。外側だけでなく、家の中の一室を蘭の部屋にして、高級品を育てていました。「蘭に悪いから早く寝ようね」と夫婦で話していたとか。奥さんもよくできたものです。 私は会に入って十年以上入賞すらできませんでした。渋谷名人から見れば、よほどできの悪い弟子だったと思います。それでもぼつぼつコツがわかるようになり、入賞、優勝が増えていきました。うちの蘭舎を見た会員が、「渋谷さんとおんなじようにしているなあ」と言ってました。
渋谷さんが新宮の家に移ってからも、よくお邪魔しました。奥さんといっしょにご馳走に連れて行っていただきました。我が家にもご夫婦で来てくださり、近所の蓮御堂(蓮池の下に寺のお堂がある)へ案内したりしました。私がぜんべえの里という里山公園を作った時も、来ていただきました。
その奥さんがまもなく急死して、ショックであったと思います(病気が重かった奥様に、私は花を送りました。無理をして奥さんが電話に出て、苦しそうな声でお礼を言ってくださいました。その言葉にならない声が今でも耳に残っています)。
渋谷さんはしかし一人で生活して、元気を取り戻したように見えました。お宅は清潔で、台所も冷蔵庫の中もきちんと整頓されていて、性格・人柄がうかがえました。蘭作りと同じです。私も妻が病気でほとんど一人暮らしでした。渋谷さんに男のひとり暮らしの知恵を教わりました。
一方で、人の面倒見がよく、快活で磊落なところがありました。私の淡路の家にもよく来てくれましたが、そのたび女性を連れていて、来るたびに違うので、どうやって知り合っているのだろうと、うらやましくさえ思いました。彼は刑務官で、その仕事の関係もあってか、カウンセリングができたのだと思います。女性の悩み、相談にも親身に対応していたのでしょう。「こんなことでもなかったら(ひとりで)生きていけんよ」と笑っていました。
蘭を愛し、人を愛し、人の心に思いを残して逝った渋谷さん。世間並みの出世もできたのに、断って蘭にかけた一途な人生。思い通りに生きた立派な人生であったと思います。きっとあの世でも、マイペースで楽しくやっていそうです。不肖な弟子ですが、またお目にかかりたいです。ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。

Back to top

あとがき
編集部


渋谷 傅さんとは関西寒蘭会の同期で、第十回寒蘭展から参加しています。思えば四十年以上の長い付き合いになりました。木村邦夫先生が「寒蘭の造形美」を書かれて、造形的に捉えた寒蘭の美を解説されましたが、それを実践的に証明されたのが渋谷 傅さんだと言っても過言ではないと思います。中でも深く印象に残っているのは南雪で、ほぼ完璧な花の位置とバランス、意図的に正面を外した第一花の向きは、渋谷さんのしたたかな美意識に、思わず舌打ちしたほどでした。
もう一人、渋谷明義さんに付いても、各地に遠出した事が鮮明な思い出になっています。
夏草や つわものどもが 夢のあと
同い年で、お互いにまだ若くて、全国の銘花を手に入れたいと思っていました。共に過ごした時間が思い出と言う言葉に変わるのは仕方がないとしても、親しくして頂いた方の逝去は虚しさが残ります。
岩本さんの電話では、「会員もずいぶん減った」との事、会の在り方も「新花を求める事を本意とする」のではなく、例えば茶道の様に「古来の伝統を重んじる」方が、一般から見た場合の存在意義が高まると思います。
先日、設立に協力した関係で、韓国茶道協会日本支部設立二〇周年の式典に招かれました。そこで披露された「禅茶」は初めて見る形式でしたが、瞑想してから詩を吟じ茶を喫するというもので、形式的であっても「心技体(法相用)の三位一体」が守られていました。東洋蘭もまた四方位四時(しいじ)と言う東洋の世界観から派生した事を思い起こして頂きたいと思います。一方でチューリップの様に唯物観による欲望の狂乱と衰退も、史実では有りますが…。
心外無法 滿目青山
(仏教ではすべては心が作り出した幻影というが、目の前いっぱいに青い山が広がっている。これは心の内かそれとも外か?)
未だ誰一人、仏(宇宙の実態)を理解した者はいません。死は虚無であり仏は幻想だと言っているのではありません。「頭よりでかいものは頭に入らない」と言う意味です。「無から有が生じ無に帰る」のでは有りません。それでは有無が相対して、我々の存在そのものが根拠を失います。「何もない」に対峙する概念は無いのです。それは「物理の法則が成り立たない特異点」であって、「虚無」ではありません。お二人は既に、我々が生まれる前にいた位置に戻られたと思います。

Back to top

著作権は執筆者各位に帰属します。
転載する場合は、関西寒蘭会事務局までお知らせ下さい。

関西寒蘭会会誌編集部