関西寒蘭会第47回本花展優勝花(2017年度)
  • 総合優勝 貴峰 植田 良夫
  • 白花優勝 白妙 植田 良夫
  • 紅花優勝 日向の誉 植田 良夫
  • 桃花優勝 日光 岩本 孝之
  • 黄花優勝 土佐無銘 平井  裕
  • 青々花優勝 銀鈴 宮崎  満
  • 更紗花優勝 泰翔 渋谷  博
  • 青花優勝 土佐無銘 岩本 孝之
  • 文人作優勝 素豊 森江 潤二
  • チャボ花優勝 緑竜 宮崎  満
  • 柄物優勝 春光 渋谷  博
  • 交配種優勝 酔湖 林  淳浩
  • 加西フラワーセンター賞 銀風 岩本 孝之
  • 紀州蘭友の会賞 紀ノ翠宝 細川 孝志
  • 相生園芸賞 北薩ノ誉 渋谷  博

第四十七回 本花展
平成二十九年十一月十日

         出展数 一四六鉢

総合優勝   貴 峰   薩 摩  植田 良夫

加西フラワーセンター賞 銀風 阿波 岩本 孝之

紀州蘭友の会賞 紀ノ翠宝 紀 州  細川 孝志

相生園芸賞  北薩ノ誉  薩 摩  渋谷  博

白花優勝   白 妙   薩 摩  植田 良夫

白名金賞   大 雄   薩 摩  岩本 孝之

白花銀賞   白 鹿   土 佐  圓尾  榮

白花銅賞   白 妙   薩 摩  中西 昭彦

紅花優勝   日向の誉  日 向  植田 良夫

紅花金賞   紅美鳥   土 佐  渋谷  博

紅花銀賞   朱 宝   土 佐  岩本 孝之

紅花銅賞   無 銘   阿 波  宮崎  満

桃花優勝   日 光   土 佐  岩本 孝之

桃花金賞   紅風指   土 佐  植田 良夫

桃花銀賞   日 光   土 佐  中西 昭彦

桃花銅賞   日 光   土 佐  圓尾  栄

黄花優勝   無 銘   土 佐  平井  裕

黄花金賞   無 銘   土 佐  岩本 孝之

黄花銀賞   神 曲   土 佐  植田 良夫

黄花銅賞   三 光   土 佐  宮崎  満

青々花優勝  銀 鈴   土 佐  宮崎  満

青々花金賞  稀 青   阿 波  平崎 清志

青々花銀賞  露 風   阿 波  宗行 正明

青々花銅賞  銀 鈴   土 佐  渋谷 明義

更紗花優勝  泰 翔   肥 前  渋谷  博

更紗花金賞  京の夢   土 佐  植田 良夫

更紗花銀賞  明 鳳   土 佐  岩本 孝之

更紗花銅賞  無 銘   不 詳  平井  裕

青花優勝   無 銘   土 佐  岩本 孝之

青花金賞   無 銘   土 佐  又川 金仁

青花銀賞   紀の海   紀 州  平井  裕

青花銅賞   無 銘   土 佐  渋谷 明義

文人作優勝  素 豊   土 佐  森江 潤二

文人作金賞  無 銘   日 向  林  淳浩

文人作銀賞  無 銘   紀 州  岩本 孝之

文人作銅賞  土佐小町  土 佐  宗行 正明

チャボ花優勝 緑 竜   土 佐  宮崎  満

チャボ花金賞 無 銘   土 佐  平崎 清志

チャボ花銀賞 無 銘   土 佐  宗行 正明

チャボ花銅賞 無 銘   薩 摩  林  淳浩

柄物優勝   春 光   球 磨  渋谷  博

柄者金賞   狐 舟   球 磨  植田 良夫

柄物銀賞   荒城の月  土 佐  岩本 孝之

柄物銅賞   無 銘   阿 波  宗行 正明

交配種優勝  酔 湖        林  淳浩

交配種金賞  無 銘        植田 良夫

交配種銀賞  神 光        岩本 孝之  

交配種銅賞  夢不動        宮崎  満

井上賞    無 銘   土 佐  平崎 清志

特別賞   (入賞数制限による)

青々部門  白 鳳   土 佐   植田 良夫

チャボ部門 紀ノ川   紀 州   渋谷  博

優秀賞   無 銘   土 佐   渡辺 健清

災害に思うこと、蘭のこと ---会長挨拶---
会長 岩本孝之

梅雨が明けてから、二度台風がやってきました。大雨が降り、中国・四国地方をはじめ全国に大きな被害が出ました。皆様はご無事だったでしょうか。会員の中で特に被害が出たという方は聞いておりませんので、一安心しました。我が家は納屋に雨漏りがした程度でした。私が住む淡路島では、池の堤の崩壊や土砂崩れなどであちこちで避難指示が出ました。今回はそれでも大したことはなかったのですが、阪神淡路大震災の時は大変でした。私は二階で寝ていて、大きな揺れに起こされました。蛍光灯が落ち、本棚が崩れ、下敷きになりました。部屋の四隅が菱形に変形して、これはだめだと観念しました。しかし、治まって下に降りると、バイクや自転車が倒れ、玄関は消火器が噴出して、真っ白、何も見えませんでした。ともかく家が立っていたので、ホッとして、急いで蘭舎へ行くと、蘭鉢が落ちずに並んでいたので、感動しました。この日勤め先の洲本まで車で行くと、「よく来れたなあ」と同僚に感心されました。途中はたくさん家が毀れ、瓦礫の山でした。「我が家はまだましだった、被害は軽かった」と思い、親戚や知人からの見舞金も役場へ人助けにと持っていきました。しかし日が経つにつれ、我が家の被害の程度が軽くないことがわかってきました。屋根瓦がずり落ちはじめ、裏にある倉が傾き出しました。倉の取り壊しと屋根の全面修復でたいへんな費用がかかりました。

日本は台風や地震など災害の多い国です。自然災害の発生数では世界の二百近い国の中で五番目に多い。アジアではインドや中国に次いで、四番目です。国土が狭いことを考えれば、災害に見舞われる頻度が高いことがわかります。一方でノーベル賞受賞者数を見ると、日本は二十五人で世界七位、アジアでは断トツの一位です。インドと中国は五人で三位、韓国にいたってはたった一人です。アジアの人たちが「日本人は頭がいい」というのが、証明されています。ついでに対外純資産(外国に持っている資産)を見ると、日本は三百二十九兆円でなんと二十七年連続で世界一になっています。中国の倍です(ちなみにアメリカのそれはマイナス八百八十六兆円!)。中国人が「日本はあんな小さな国で世界三位の経済力を持つのは、教育と民度の賜物だ」と驚くそうです。私はこれは災害が多いことと無関係でないと思います。苦難困難の中で工夫し生き延びる知恵、努力を日本人が積み重ねて来た結果だと思います。「艱難汝を玉にす」というのは国や民族レベルでも言えるのではないでしょうか。

蘭も非常に辛抱強い植物だと思います。環境が悪くなれば蘭玉となって、地中で何十年もじっと耐え、よくなれば芽を出す。世界の色んな環境の中で姿を変え生き方を変えて生き延びる。東洋蘭だけでなく、洋ランなども含め蘭の種類の多さとその変異におどろかされます。蘭の遺伝子は人より多いと聞いたことがありますが、さもありなんと思うことしばしばです。私は蘭を栽培して、「蘭は人間より強いなあ」とよく思います。こんなに強い蘭を枯らすなどというのは、よほど人が悪いことをしているからでしょう。おごりを捨てて、蘭を見習いたいものです。

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第四十七回 本花展
平成二十九年十一月十日

本花展 審査報告

審 査 部

 本年度は出品数が百四十六鉢と昨年より三十三鉢多く集まり盛会でした。

 総合優勝は薩摩産の貴峰です。九輪の大きな花が葉上高く伸び上がり、ベタ風の舌もよく、他を圧する迫力のある作品でした。また風神雷神の絵模様の鉢も品のあるものでした。新芽がなかったのが悔やまれますが、花がよいということで、特別に総合優勝となりました。

 加西フラワーセンター長賞は阿波産の銀風です。八輪が花配りよく葉上高く伸び、上品さが感じられました。鉢元にコケをあしらっていました。

 相生園芸センター賞は薩摩産の北薩の誉です。桃色よく出て特徴をとらえた堂々たる手練れの作品でした。

 紀州蘭友の会賞は紀州の青花で紀の翠宝です。厚弁大舌の花が四輪開花、ふっくらした舌に大きな点が入り、見る者を魅了しました。

 白花優勝は薩摩産の白妙です。花茎一メートル近く十二輪を付けた、雄大というより巨大な作品でした。  紅花優勝は日向産の日向の誉です。紅色極めて濃く黒赤(?)に近いものでした。

 桃花優勝は土佐産の日光です。開花は四輪であとはは蕾でしたが、全体の姿が引き締まって、桃色が弁先までよく乗り、花弁の折鶴の特長が出ていました。

 黄花優勝は土佐産の金鵄です。七輪のうち五輪が開花し、花茎高く伸び、いかにも金鵄らしい好もしい作品で、鉢にも作者のこだわりが感じられました。

 青々花優勝は土佐産の銀鈴です。八輪咲きで、やや花間がつんだ印象を受けましたが、しっかりした株で、花弁の色や舌など、この花の良さがよく出ていました。

 更紗花優勝は肥前産の泰翔です。弁元がうすい赤、弁先がこれもうすい黄の花で、大きな舌が無点というすぐれものです。三輪が堂々と咲いていました。日本一と同系統の花です。

 青花優勝は土佐名の浦産の無銘です。葉上高くふわりと大きい花が十輪咲いていました。棒心を閉じた花弁が横に伸びて雄大で、名の浦産の特長がよく出ていました。

 文人作優勝は土佐産の素豊です。四輪開花し、一つは蕾でした。花軸が上方で曲がり、これに妙があり、手作りの鉢と調和していました。文人作の本家にふさわしい作品です。

 チャボ花優勝は土佐産の緑竜です。二輪が開花し、一つはまだ蕾でした。赤いベタ舌が美しい作品でした。

 柄物優勝は薩摩産の春光です。九輪のうち七輪が開花し、葉に汚れなくその柄が実にみごとでした。名人のお手並拝見といったところでしょう。

 交配種優勝は酔湖です。厚弁三角咲の花が七輪咲き、特に巻かない舌に見応えがありました。

 その他目を引いたのは白花金賞の大雄、井上賞の無銘、青々花銀賞の露風などでした。チャボ花の出品も多く、レベルの高いものばかりでした。

 関西寒蘭会は趣味者の会、アマチュアの会です(アマチュアとは元々好き者という意味)。展示会は自慢会であって、品評会ではありません。高価な花や奇抜な花、大きな花ばかりが壇上に目立つのは、好ましいことではないと思います。花作りはその人らしさ、花はその花らしさ。その特長を、自然な美しさを引き出すのが良いといえるでしょう。木村邦夫元会長や同じく山内敦人元会長の美学を、もう一度原点に返って見直すことが必要ではないでしょうか。

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入賞のよろこび

入賞のよろこび

◎寒蘭本花展

加西フラワーセンター長賞 銀 風

岩本 孝之

青々花の澄んだ花が好きで、銀風もあこがれの花でした。私が好きなことを知った会員の方から送っていただき、うれしかったことを覚えています。新芽がよく出て作りやすく、銀鈴などより花間があって、いい花です。「品のよさ」を念頭に、大切に作っていきたいです。

相生園芸センター賞 北薩の誉

渋谷  博

 我が家の寒蘭は昨年同様に開花が遅れたことで、咲いた花は色濃く、よく冴えて咲きました。

入賞した北薩ノ誉は7花の大輪を付け、桃花種と思えないほど紫紅色に濃く、落肩咲きを感じさせないほどに仕上がり満足しております。

桃花優勝 日 光

岩本 孝之

今年は開花が遅く、当日出展を迷いました。花は半分ほどしか咲いていませんでしたが、大株が多い出品の中で全体が引き締まり、姿のよい点が評価されたと思います。少々面映ゆい作です。会員に請われてすぐに嫁に行きました。

黄花優勝 金 鵄  

平井 裕

本花会の黄花部門の優勝花の席をいただきありがとうございます。この金鵄は西谷産がブームだった昭和の終わり頃入手した株で、ラベルを見てみると平成二年十一月初花開花とあるから、もう三十年以上うちの棚にいるということになります。育てるのが下手なのか今でも一鉢のままですが、毎年安定した色で咲いてくれます。西谷産ブームが去って久しいですが、安定した黄色で咲く花は貴重だと思います。これからも大事に育てていきたい株の一つです。

更紗部門優勝  泰 翔 

渋谷  博

泰翔は日本一や力王と同坪で、寒蘭の産地で有名な長崎県白西平、一の谷産の花です。花は産地特有の厚弁大舌無点系の更紗花です。

棚入れして、まだ3年程の中木ですが、3花が咲きました。まだ本咲きでなかったのですが、我が家の棚では初花であり、また本会では出品されたことがない花でしたので出展しました。

今後は一層上作に仕立て本咲きの花をお見せしたいと思っております。

青花優勝 土佐無銘

岩本 孝之

名の浦産らしく花弁が細長く大きく伸びる。いまから十年ほど前加西フラワーセンターのログハウスで行った展示会で、故吉見さんが出品したこの花は実に素晴らしいものでした。花型花色とも最高でした。その印象が焼き付いていて、この花を手に入れた時は感激しました。強い花でよく殖えます。ただ、あの時のような花には遠く及びません。

文人作優勝 素豊

森江 潤二

素豊は昨年の竹鉢植込みの株と同株。今回は自作鉢での出展でした。楚々とした咲様は優しく、花付きも良く育てやすい品種です。本株は千年亡くなられた井澤宏様より譲り受けたものです。早いもので三年が過ぎましたが、小生本会入会時井澤様に大変お世話になりました。また白妙の生育が悪く培養依頼があり、三年間育てお返しした経緯等、昨日のように思い出されます。改めて井澤様を偲びご冥福をお祈り申し上げます

交配種優勝 酔 湖

林 淳浩

今年の寒蘭展で私の出展した酔湖が優勝に選ばれ、大変うれしく思います。今年の交配種の鉢数が少なく、賞に入るのは期待していなかったので、心苦しく思っております。次の出展の時はもっと自信の持てるような姿に作って出展したいと思います。

柄物部門優勝  春 光

渋谷  博

 春光は球磨産の花で、柄が安定した良花です。何回か入賞させてもらっているので、出展は控えたいと思ったのですが、例年より一層よく咲いたので出展しました。

私なりに言えば、春光の花は第一花が高付に咲き、葉と花間が空きすぎ、天花に積む性質があるのですが、今年の春光は葉と花間が空くことがなくバランスよく咲き、しかも葉の柄もむらがなく鮮明であったので出展しました。

花軸を伸ばすことは容易ですが、第1花の伸びを押さえ花間をとることは難しいと思われます。偶然に咲いたとは言え満足しております。

◎寒蘭早花展

紅花金賞  御神錦

渋谷  博

 我が家の寒蘭達は、昨年同様に花期が遅れ、早花展に出展できたのは、この御神錦1鉢でした。それもまだ咲き切っておらず、天花が蕾の7輪咲きでした。

 御神錦は早咲き種で、早期に咲くと無点に咲き難いのですが、開花が遅れたことで無点に咲き、花も桃紅色に濃く

よく冴えた作品となりました。

◎柄物展優勝

銀 月

岩本 孝之

葉がほとんど白く抜けるので、葉焼けしやすく大変作りにくい蘭です。確か球磨産であったと思います。はじめ大内春仁さんから手に入れたと思いますが、枯らしてしまいました。この花は業者から入れた二度目の木です。花は青花で白い覆輪がかかり、舌も小さな赤い点が縁取りするような、それで月と名付けたのかと思う美しい花です。一度咲きましたが、本咲きには遠く及ばず、ちょっと変わった青花の程度でした。販売のパンフなどの写真と実物は違うものですね。こちらの技術不足もさりながら。

◎春蘭展

総合優勝  篤 姫

林  淳浩

 この度、私が出展した篤姫が総合優勝の栄誉を頂き、ありががとうございます。

篤姫は4年前に棚入れした交配種の赤花です。私が蘭を作り始めてから、もう三十程年になりますが、春蘭の発色についてはあまり関心がなく、今迄は珍品に強く興味がありました。

ところが二年前、本会の会誌「素心」に「春蘭の咲かせ方」と称して、前会長が掲載された記事を読んでから色花に挑戦する気持ちになり、頑固な私に似合わず、この記事を素直に受け入れ、土盛りやキャップの時期などを参考にして作りました。

これを基に私が行ったことは、作場が二階にあり日当たりがよいので、夏場は頻繁に冠水したこと。キヤップを除いた冬場の管理は、日陰に置くようなことはせず、朝日を十分に採りました。その結果、篤姫だけでなく、色花のほとんどが色よく咲いてくれたので驚いています。

今後は一層真剣に色花の発色に努め、魅力のある花を咲かせたいと思っています。

相生園芸センター賞 清 香

平崎 清志

 清香を棚入れして、もう4年になりますが、とても作りやすい赤花で濁りがなく優れた品種だと思います。

 今年入賞させて頂いた作品は、葉に全く汚れがなく、5篠の株に花3輪を付けました。

今年の花は今までに咲いた花の中で、花が大きくて色濃くよく冴えて一番優れた花であつたと思います。

朱金部門 優勝 春 華

平崎 清志

 春華は古い品種で高知県産です。出始めた頃は通称、高知朱金と呼ばれていましたが、その後に春華と命名された花です。

今年の春華は、大輪の花を三花付けました。朱金色濃く花も大きくて、私の棚では今までに咲いた花の中で一番よく咲いてくれました。

複色花優勝 山の端

岩本 孝之

昔極めて高価な花でした(昔をいえばどの花もそうですが)。長い間に大株になり、大葉が鉢を覆って、すごい株になりました。花芽もたくさんついたので、加温ケースに入れました。ただ取り出すのが二日前で花茎がぐらぐらしていました。花を減らし、向きの調整を指導していただき、みられるようになりました。展示のためには色々テクニックが要るものだと知りました。展示の二日目からはシャキンとして見応えのある堂々とした作品になりました。ありがとうございました。

青花部門 優賞 のぞみ(仮称)

渋谷  博

 のぞみは鳥取産で、弁元に薄く紫色を帯びた大輪花です。

本来の花色に咲いていなかったのですが、出展数が少ないことを心配して、1鉢でも多くあればと思い、青花として出展しました。この花の色出しは難しく、今後一層の努力を重ね、色よい花を出展したいと思っております。

  韓国花部門 優賞 大黒天

渋谷  博

この花は韓国産の古い紫花で、気温に関係なく紫色濃く安定して咲く優れた品種です。

もう十数年前に小木を入手しましたが、成長が鈍くて、まだ花が付くとは思っていませんでした。

花芽に気がついたのは11月下旬でした。木も花芽も小さかったので花が付くとは思っていなかったのです。

我が家では初花でしたので出展しました。今後は上作に仕上げ、よい花を出展したいと念じております。

◎ 第四回 九華・エビネ・山野草展

 優勝 紫宝

                   渋谷  博

 エビネ界が全盛期であった昭和五十四年ごろだったと記憶しております。

 その当時、私は寒蘭に夢中で、エビネには関心がなかったのですが、妻がそごう百貨店で開催されたエビネ展を見て、香りのあるエビネが欲しいと言う。私は寒蘭をよく買っていた手前上、エビネを買うことにしました。

当時、香のあるエビネと言えば、コオズ系で伊豆諸島に自生している程度しか知りませんでした。その話を友人に話したところ、偶然にも神津島に知り合いがいるとのこと、幸いにして地元の趣味者から苗木7株を送ってもらったのです。

 それから数年後、次ぎ次ぎと花が咲き始め、コオズ産のエビネ特有の桃色を帯びた花が咲き、しかもよい香りがするのです。妻以上に私の方が感激してしまいました。

 最初に咲いた4鉢の中で、花弁に濁りがなく桃色が鮮明で、甘すっぱいよい香があり、この花を初恋と仮称しました。後に紫宝と仮称したエビネは作が上がらず、その4年後に一番遅れて咲きました。この花を見て再度感激したのです。紫紅色濃く花形よく、そのうえ香りよしでした。このエビネを紫宝と仮称したのです。

その当時、コオズエビネの中で一番有名であったのが、大紫香でした。高価で入手できなかったエビネでしたが、その十数年後、エビネ界が低調期になったころ、大紫香を入手し、咲いた大紫香と紫宝と見比べました。一見してほぼ同様に見えたのですが、よく観ると紫宝の方が、花弁の色が濃く、舌の形も円みがあり薄紫色が濃く、大紫香より優れたエビネだと私は思いました。

妻に感謝!感謝!です。今後は大切に育成し、次期愛好者に継承したい所存でおります。

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第四十七回 早花展

   平成二十九年十月二十九日

出展数 五四鉢

優勝 室戸錦 土 佐  植田 良夫

白花金賞    素 豊 土 佐   圓尾 榮
白花銀賞    該当なし
白花銅賞    豊 雪 土 佐   宗行正明

紅花金賞    御神錦    土 佐   渋谷 博
紅花銀賞    御神錦 土 佐   岩本孝之
紅花銅賞    瑞 鳳 土 佐   圓尾 榮


桃花金賞    三世冠 土 佐   岩本孝之
桃花銀賞    日 光 土 佐   圓尾 榮
桃花銅賞    日 光 土 佐   宗行正明


黄花金賞    該当なし
黄花銀賞
黄花銅賞


青々花金賞    銀 風 阿 波   植田良夫
青々花銀賞    稀 青 阿 波   岩本孝之
青々花銅賞    銀 鈴 土 佐   圓尾 榮


更紗花金賞    黄金月 土 佐   岩本孝之
更紗花銀賞    無 銘 薩 摩   宗行正明
更紗花銅賞    天 照 球 磨   平崎清志


青花金賞    豊 水 肥 前   植田良夫
青花銀賞    延光寺 土 佐   岩本孝之
青花銅賞    無 銘 土 佐   森江潤二


文人作金賞    櫂 踊 紀 州   岩本孝之
文人作銀賞    該当なし
文人作銅賞


チャボ花金賞    天 馬 阿 波   圓尾 榮
チャボ花銀賞    無 銘 薩 摩   植田良夫
チャボ花銅賞    無 銘 阿 波   宗行正明


柄物花金賞    該当なし
柄物花銀賞
柄物花銅賞


交配種金賞    該当なし
交配種銀賞
交配種銅賞


特別賞 (入賞数制限による)
  黄花     王 紀 薩 摩   植田良夫
  更紗     苓州冠 肥 前   植田良夫

早花展 審査報告

審査部

今年の出品数は五十四鉢でした。優勝は土佐産の室戸錦です。八輪が開花し、紅色冴え、見応えのある作品でした。紅花金賞の御神錦もそれに劣らず、色よく姿の整った作品でした。白花金賞の素豊は五輪咲きで花軸がふわりと曲り、女性的な風情のある作品でした。こういう作りもあるのかと感心しました。その他金賞の中では桃花の三世冠や青々花の銀風がよく花軸を伸ばして堂々とした作品、青花の豊水は青色が冴えて美しい作品でした。特別賞の王妃は弁色舌点の色が鮮やかでした。その他薩摩産の無銘の更紗や球磨産の更紗天照などは珍しい作品でした。青花では延光寺の青や原生林、利根が目を引きました。

今年度から優勝と金賞は一人三点とし、それを超えて選ばれた場合は特別賞にしました。早花会は特にその年の気候に左右されます。まして今回は台風接近で大荒れ。出品協力ありがとうございました。

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第四回 春蘭展



平成三十年三月二~四日
出展数 一八一 鉢

総合優勝    篤 姫   林  淳浩
加西フラワーセンター長賞 白 鷹  平井  裕
相生園芸センター賞 泉咲黄  平井  裕

赤花優勝 清 香   平崎 清志
赤花金賞 清 香   渋谷  博
赤花銀賞 巴御前   平井  裕
赤花銅賞 瀬戸の舞姫   細川 孝志

朱金花優勝 春 華   平崎 清志
朱金花金賞 緋牡丹   宮崎  満
朱金花銀賞 玉 英   渋谷  博
朱金花銅賞 富士の夕映   佐藤 清昭

黄花優勝    黄 鷺   植田 良夫
黄花金賞    黄の光   宮崎  満
黄花銀賞    松の光   佐藤 清昭
黄花銅賞    黄嶺(仮称)  岩本 孝之

素心花優勝   大青海   植田 良夫
素心花金賞   一 休   佐藤 清昭
素心花銀賞   碧     渋谷  博
素心花銅賞   紀の白帆   平崎 清志

青花優賞    のぞみ   渋谷  博
青花金賞    神吉梅   佐藤 清昭
青花銀賞    広 峰   平崎 清志 
青花銅賞    無 銘   植田 良夫

複色花優勝   山ノ端   岩本 孝之
複色花金賞   朱雀門   平崎 清志
複色花銀賞   対馬一番   植田 良夫
複色花銅賞   天賜宝   佐藤 清昭

変り花優勝   紅 雲   長谷川孝二
変り花金賞   小胡蝶   渋谷  博
変り花銀賞   帝あげは   岩本 孝之
変り花銅賞   該当なし

豆花優勝    桜 環   長谷川孝二
豆花金賞    達 磨   植田 良夫
豆花銀賞    力 丸   平崎 清志
豆花銅賞    黄金月   佐藤 清昭

その他の花優勝 熊野白蘭   長谷川孝二
その他の花金賞 紀ノ白帆   渋谷  博
その他の花銀賞 該当なし
その他の花銅賞 該当なし

韓国花優勝   大黒天   渋谷  博
韓国花金賞   黒 龍   長谷川孝二
韓国花銀賞   無 銘   森江 潤二
韓国花銅賞   緑 採   植田 良夫

中・台花優勝  翠一品   渋谷 明義
中・台花金賞  西神梅   渋谷  博
中・台花銀賞  西神梅   平崎 清志
中・台花銅賞  宋 梅   森江 潤二

春蘭展 審査報告

審 査 部

 今年の春蘭展が3月2日から4日に亘り行われました。出品数は、昨年より23鉢多く181鉢でした。

 春蘭の審査は11品種に区分され、昨年までは品種毎に金賞・銀賞・銅賞の3賞を決めておりましたが、今年から金賞の上に優勝を設け、寒蘭本花展と同様、品種毎4賞となりました。その優勝花の中から一番優れた花を総合優勝とし、次いで加西フラワーセンター長賞、相生園芸センター賞を選出しております。

 総合優勝は、赤花の篤姫に決定しました。3花を付け、

赤色濃く冴え、葉も緑地強く艶があり花との調和も抜群で総合優勝として申し分のない最高作品でした。

加西フラワーセンター長賞は、白鷹で梅弁の超大輪2花を付け、衆目された花でした。相生園芸賞は黄花の泉咲黄で4花を付け黄色濃く冴えがあり、日本春蘭の特徴がよく現れ優れた作品と評価しました。

次に優勝花の中で、特に優れた作品は、赤花部門の清香です。篤姫と同じ3花を付け発色優れ、篤姫と優劣つけ難い花でした。両品種とも、清姫と女雛の交配種ですが、清香は過去に優勝を重ねていることで、審査規定により篤姫に決まりした。

なお、篤姫の命名は本会の某氏で、連続ドラマ「篤姫」に因んで命名されたこと。また、清香の株分け種でないことも確かなことです。

その他、優勝花の中で特に、目を引いた花は春華です。大輪3花を付け、朱金色に濃く冴え、花軸の伸びもよく、優れた作品でした。次は紅雲で、花弁が乳白色で舌は赤ベタと言う珍品種で美しく印象的でした。

 銀賞、銅賞入賞花の中で、目立った花は巴御前です。大葉性ですが、株の大きさに見劣りすることなく赤色濃く大輪3花、作者の優れた力量が示された作品でした。

 本年の春蘭展を審査して、特に感じたことは色花の発色が一段と向上してきたことです。出展総数が181鉢中、赤花28鉢、朱金21鉢、黄花25鉢でした。例年になく色花が多くて、その発色が数年前とは大違いで、その進歩に驚きを感じた次第です。

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今年の春蘭展をみて
渋谷  博



平成二十六年、本会と兄弟会である幽香会が合併したことで、春蘭展は従来どおり加西フラワーセンターで開催することになった。

幽香会の年間行事は、春蘭展を始めとし、えびね展・九華展、柄物展を開催している同好会である。その起こりは関西寒蘭会の会員で創立された会であるが、高齢化により会員が減少してきたことで合併したのである。

合併当初、会員の大半が春蘭には関心がなく、広い会場に似合う鉢数を揃えることで、会長以下、随分苦労したが会員の協力で何とか鉢数を揃えることができた。しかし、発色の良い花が少なく、綺麗に咲かせた花を見て本人に尋ねると、たまたま色よく咲いたとのこと。これでは継続性がなく、期待できないと判断した。

加西フラワーセンターは多くの遊園者が訪れる会場で、この展示内容では申し訳ないと思った。会長の提案で総会や展示会時など、機会ある度に春蘭の作り方や咲かせ方について話し合った。

平成二十八年、会長の依頼で「春蘭の咲かせ方について」と題して年会誌に、わかりよく掲載した。

その効果があったかどうかは分からないが、年毎に発色の良い花が出展しはじめた。

今年の春蘭展において、出展数が一八一鉢、その中で、色花部門では赤花三四鉢、朱金三一鉢、黄花三六鉢、色花の出品が目立ち、しかも今までにないよい発色の花が出揃い、会場が賑わった。

近年、各地の春蘭展をみて、西洋蘭化してきたと思う。それは寒蘭界にも言えることだが、花が大きければよい、珍しければよい、と言うものではない。

東洋蘭は、侘・寂の世界である。春蘭は山里に咲く花と言うイメージが強い。それが日本の美意識の一つでもあり、派手な世界ではない。

日本春蘭は、春蘭特有の地味で、僅か濁りを帯び深見がある色調の花が多い。後冴種の赤花には、その特徴が顕著に現れる。その花に遭遇すると心魅かれ安らぐ。

新花や交配種を求めることがよくないとは言わないが、

昔からある日本春蘭が忘れがちにある現在、貴重な日本春蘭を大切に生育し、将来に向け継承してもらいた。

この意図が東洋蘭界の活性化を損なうと言われるかもしれないが、趣味者の一人として本意を述べたのである。

記事の終わりに一言。春蘭の発色方法を理解していても、毎年よい花が咲いてくれるものではない。その年の気象条件、株の生育状態、作場の環境など、その微妙な変化から発色が良くも悪くもなる。それがこの世界の難しさであり面白さでもある。

幽香会と合併を勧めたことで、初年は不安と責任を感じていたが、良い花が出展されるようになったこと。加え、合併したことで四季折々の展示会が行われ、会員の親交も一層深まり、楽しくもあり安堵している。

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山内敦人様を偲んで
常任顧問 本庄 正義

平成二十九年十月十七日、山内敦人先生が永眠されました。

関西寒蘭会が昭和四十六年に創立され、当初は編集部長として会報の原稿収集や校正などにご尽力されました。

特に印象深いことは、土佐愛蘭会の会長であった西内秀太郎先生をお招きして座談会が行なわれたことです。先生がその議事進行を担われ、本会の発展と寒蘭界の親交に努められたことはあまりにも有名です。

その後、平成二年、関西寒蘭会の会長に就任され、長年に亘り会長を務められました。その間、会報「素心」には数多くの名文を掲載され、本会の発展に大きく貢献をされました。

 現職時代は教職に就いておられ博学であられたこと。寒蘭を何より愛好され研鑽されておられたこと。寒蘭展の時期には遠路、四国や九州へ赴かれ、多くの花を観察され、花の特徴を熟知されておられました。

会報「素心」掲載においては、先生の記事が高い評価を呼び、他の愛好会から会誌の依頼を受けたことも度々ありました。

一昨年のこと、各地の展示会をみられて、温厚な先生が「どの花も花配りが一様で、品種の特徴が生かされてない」と苦言されたことが心に残り忘れられません。

蘭を一途に愛好され、寒蘭の生き字引であられた先生を亡くしたことは、関西寒蘭会だけでなく、寒蘭界全体において痛恨の極みであります。

ここに深い謝意を捧げ、ご冥福をお祈り申しあげます。

合掌

 

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山内先生のご逝去を悼む
常任顧問 渋谷  博

平成二十九年十月十七日、山内敦人先生が永眠されました。

関西寒蘭会が昭和四十六年に創立され、当初は編集部長として会報の原稿収集や校正などにご尽力されました。

特に印象深いことは、土佐愛蘭会の会長であった西内秀太郎先生をお招きして座談会が行なわれたことです。先生がその議事進行を担われ、本会の発展と寒蘭界の親交に努められたことはあまりにも有名です。

その後、平成二年、関西寒蘭会の会長に就任され、長年に亘り会長を務められました。その間、会報「素心」には数多くの名文を掲載され、本会の発展に大きく貢献をされました。

 現職時代は教職に就いておられ博学であられたこと。寒蘭を何より愛好され研鑽されておられたこと。寒蘭展の時期には遠路、四国や九州へ赴かれ、多くの花を観察され、花の特徴を熟知されておられました。

会報「素心」掲載においては、先生の記事が高い評価を呼び、他の愛好会から会誌の依頼を受けたことも度々ありました。

一昨年のこと、各地の展示会をみられて、温厚な先生が「どの花も花配りが一様で、品種の特徴が生かされてない」と苦言されたことが心に残り忘れられません。

蘭を一途に愛好され、寒蘭の生き字引であられた先生を亡くしたことは、関西寒蘭会だけでなく、寒蘭界全体において痛恨の極みであります。

ここに深い謝意を捧げ、ご冥福をお祈り申しあげます。

合掌

 

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山内敦人先生を悼む
会長 岩本孝之

昨年の寒蘭展に先生はお顔を見せてくださらなかった。蘭が好きで展示会には欠かさず出てこられ、時には辛口の批評をいただいていた。体調が悪いようだとは聞いていたが、亡くなられたと聞いて、愕然とした。私は本会に入れていただいてから、先生のいない蘭の展示会など、ほとんど記憶にない。愛妻家でいつも奥様ご同伴だった。長い間会長をしていただいた。そしてご自身の蘭作りよりも人の蘭を鑑賞批評するのに熱心な方だった。それだけに蘭を見る目は厳しく、蘭の仕立て方には独特の美意識を持っていた。会誌にも蘭作のありようを何度も書かれた。それは多くの会員に影響を与え、本会の「財産」ともなっている。遠く会員以外の方でも、先生の文章に心酔する人がいた。会員には誰かれとなく声をかけ、決して威張ることなく優しく指導されていた。実にリベラルな、愛すべきお人柄であった。

 拙宅にも何度かお見えになった。最初は平成五年であったか、建てたばかりの温室を見て、「日が強すぎて、葉が黄色く焼けている。葉艶が飛んでしまって、蘭の美しさがない」とボロクソに言われた。それから遮光に気をつけるようになった。またある時は釣り竿を下げて、「魚を釣りながら淡路から四国へ行く」とうそぶいていた。我が「ぜんべえの里」にもご夫婦で来ていただいた。いつかの年賀状に「パリへ行ってきた。言うことをきかない蘭よりも海外旅行の方が楽しい」というようなことが書かれてあった。先生も蘭を枯らすことがあり、苦労されていたようだ。

 紀州や四国をはじめあちこちの展示会に出かけ、蘭友がいて、そんな人たちと蘭の話をするのが何よりの楽しみであったようだ。お土産の蘭を手にして、本展示会にも持って来られた。豊雪をはじめ高価な銘品が嫌いで、そんな銘品に走る者を批判していた。先生は無名の素朴な蘭がお好きであったようだ。展示会で高級品ばかりが入賞棚に並ぶと、「あんなものはあかん。高いだけや。本当の蘭の美しさがない」などと、けなしていた。独特の考え方、見方をお持ちであった。

 私は新しい花を手に入れると、先生を引っ張ってきて見ていただいた。「先生が「ほう、これはいい」と言われるとホッとした。先生の一生は蘭とともにあった。人生の大半の時間を蘭と過ごされた。彼世でも蘭を手に過ごされているに違いない。そしてご高説を聞かせているに違いない。先生のご冥福を心から祈ります。

 

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追悼に代えて
野口 眞人

 山内先生の追悼文は、既に他の方々が書いていらっしゃいますので書きませんが、正直なところ暫くは亡くなった事を考えたくないと言う心境でした。四〇年以上も昔、蘭を始めた頃からご指導頂いた文字どおりの師匠で、震災前の西宮市民会館の頃、展示会後に喫茶店で「神曲本来の軸色は・・・」とか「桃里は朱紅を感じる桃赤に仕上げるのは難しいが・・・」等と夜遅くまで話しあった事を、断片的なシーンとして思い出します。

 巷で言う「直幹で大輪花間が広く、正面一文字咲き舌無点」等、○○の一つ覚えの様な花を「ある典型としては認めるとしても、不自然で何の工夫もない」と絶対的な評価はされていませんでした。先生の鋭い美意識によって選抜された、それ自身が輝きを放つ花を「銭湯の屋根の様な、踏ん張り咲きの花がそれなりに評価されているのは、それを補って余りある長所が有るからで、そこを見ずに欠点を論う(アゲツラウ)のはどんなもんか」と話されていました。

  私見ですが、これは先生の教育観に由来するのではと推測しています。教育の目的を「一定の型枠にはめるのでは無く、其々の個性を生かして長所を引き出すもの」との考えから、「お国のための人材育成」ではなく「子供たち各自の目的の発見と個性の発揚」とされていたのではないかと想像しています。

今も各地で「農作物品評会」の様な花会が続いていますが、本当に花を愛していた先生は、心中穏やかで無かったのではと思います。余談になりますが、中国、韓国、日本に多く残されている墨蘭図は、文人達のその時々の心境を蘭に例えた画と讃ですが、直立不動の蘭の絵は一枚も有りません。文人達は「心に揺れのない境地」などまやかしであることを知っていたのでしょう。

ゆれながら咲く花

ト・ジョンファン

ゆれずに咲く花がどこにあろうか

どんなに美しい花も

ゆれながら咲いたのだ

ゆれながら茎をまっすぐ立てたのだ

ゆれずに生きていく命がどこにあろうか

濡れずに咲く花がどこにあろうか

どんなに輝く花も

濡れながら咲いたのだ

風雨に濡れながら花開いたのだ

濡れずに生きていく命がどこにあろうか

韓国の代表的な現代詩人 都 鍾煥(ト・ジョンファン)の作品ですが、「揺れながら咲く花、濡れながら咲く花」こそ、本来の命の輝きでは無いでしょうか。

長年先生のご指導を受けながら、実際に命の輝きを感じる花を咲かせる事はできませんでしたが、例えばある種の素心舌に、ガラスの様な輝きとがある事とか、ある種の紅花の花弁に、ビロードの様な光沢がある事とか、普通なら見落としてしまいそうな美しさを教えて頂きました。

関西寒蘭会発足当初からの先達を失い、今は「ラン」そのものが心に空しく映ります。

 薫風茫茫 道竭盡人不在

 誰訪問嗎 高山樸素的草庵

蘭の香りも遠くおぼろげになり

道は尽きて人もいなくなった

誰か訪れるのだろうか

高山の質素な草庵を

 生涯の半分を蘭と共に過ごされた先生を、後世の誰かが深山に訪れ、薫道を尋ねる事と思います。

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 四〇号会誌に掲載した山内先生の「馬齢を重ねて八十年」を再度掲載します。

馬齢を重ねて八十年
---あれやこれやとりとめもなく---    山内 敦人

 

 昭和一ケタ生まれの世代は「人生五十年」と言う時代を経験しています。七十歳といえば古代稀な長寿として寿ぎました。私が高校生の頃近所の八十歳の老人が自転車を乗り回されていて、評判になったものです。自分が八十歳になってみて、つくづく長く生きたものだと驚いております。

 今年は四十号会誌が発行されます。とすると、私と蘭とのお付き合いも四十年になるわけです。関西寒蘭会に入会したのは、蘭を作ってみようと学校の先輩で蕙蘭の大家朝倉さんを訪ね「花物が作りたい。」というと「それなら井上さんの所へ行きなさい。」と言うことで、春蘭の花時に井上さんを訪ね幽香会に入会しました。

 幽香会は昭和の始め頃、関西の数寄者が集まり発足し、全く任意の団体で花会等の会合は各自の自宅の持ち廻りだったとの事です。

 私が入会した時も任意団体でした、毎月第二日曜に数寄者が井上さんのお宅に集まり、全て持ち寄りで話しに花を咲かせておりました。毎月十名内外の人が集まっていました。組織体でなく、個人の自由意志による任意の団体というものは、趣味の会の原点として意義深いものだと思われます。今でも当時のことを懐かしく想い出しております。

 幽香会入会の際に、井上さんから「蘭には寒蘭という秋咲きのものがあり、春と秋の二回楽しめるから寒蘭の会にも入会しないか。」と言われ関西寒蘭会に入会しました。井上さんの話によると、前年の寒蘭の花時に寒蘭愛好家数名が訪ねてきて「会を作るので会長に就任して欲しい。」と要請され、引き受けたと言うことでした。

 井上さんは岡山県高梁の素封家の出身で父君は地方銀行の頭取、兄君は蕙蘭の大家で「若くして蘭を養い、老いては蘭に養わる。」という名言を残された人物です。兄君の影響で蘭を始められた様で、戦前から蘭を作られていました。

 井上さんのお宅には昭和十二年上野の美術館で行われた「日満華連合展」で入賞された中国春蘭九華の「江南新極品」の写真が飾られていました。井上さんから戦前の蘭会のことを伺った時に、前述の朝倉さんの父君の話になり、朝倉さんが神戸市役所に勤めておられたのを聞き「市役所の吏員が蘭を始めるとは!!。と驚いたものだが、親しくなり自宅を訪ねたらお城のような邸宅で、京大出の学士だと知り納得した。」といわれました。このように戦前は、蘭を作ることが一つのステイタス・シンボル(地位の象徴)だったのです。戦後の私のような庶民でも蘭作りをする「蘭の大衆化時代」とは様子が違っていた様です。井上さんのお宅に集まる数寄者のうち、何人かは戦前からの数寄者で、戦前の蘭会のことが聞け興味深いものがありました。

 時の流れは意味深く、井上さんをはじめ、会の創立期のメンバーの大半は今はなく、現在活躍されているのは井澤さん一人になりました。会が発足して四十年、前半の二十年位と後半の二十年位は会の雰囲気がそれなりに異なっていたように思います。前半の世代を第一世代とするならば、その後に入会された人々は第二世代といって良いでしょう。全てアバウトな私のことですから、当たっているかどうかわかりませんが、第一世代と第二世代では「気質」に違いが有り、気質の違いが微妙に会の雰囲気に現れていたのかも知れません。第一世代は「唯我独尊居士」「一言居士」がおり、結構「我」を張っておりました。自己主張の強い第一世代に対し、第二世代は自己主張を強く押し出さず、紳士的な人が多いように思えます。第一世代では「誰それがこんなことを言った、ケシカラン!!呼び出して対決してやる。」などと息巻く御仁を見聞きする事もありました。入会した頃、井上さんから「蘭を作る人は我の強い人が多いから、気を付けるように・・・。」と言われた事があります。ただ生まれつきアバウトでいい加減調子良くオッチョコチョイな私のこと、「物言わぬは腹膨るる業」と新米のくせに蘭のことについてあれやこれやと講釈し、そのくせ「作」「花の咲かせ方」は全く駄目。

 西谷物のような比較的作りやすい花を枯らすこと再三再四。花に付いてもとやかく講釈するくせにロクな花を咲かさず、毎回花会に出品するのに一度として入賞したことなく「七つ八つ花は咲けどもかぶき花、美の一つだに無きぞ悲しき。」などと戯れ歌を作って自嘲する始末。新米のくせに調子よくあることないこと講釈する私を「唯我独尊居士」「一言居士」が放つておくはずがありません。「手八丁口八丁と言うが、お前さんは口は結構達者だが手は一~二丁だ。」と面と向かっていう御仁に、蛙のツラに何とやら・・・。たじろぐどころかイケシャーシャーと、「作り下手、咲かせ下手は自他共に認めるところ。それでも蘭を諦めずお付き合いしているのは、あることないこと織り交ぜて講釈する楽しみがあるからよ!!。」と嘯いておりました。「熱心なことよ。」と言う声がある反面、「なあに、アイツは講釈のネタ探しに行っているのよ・・・。」という声もにぎやかでした。外野席のヤジはなかなかのものでしたが、一言釈明すれば、花の美に憧れ「背筋の寒くなるような花」、そこまで行かなくても「花の前で思わず足を止め、見入る花を見たい。」という想いがあるのです。

 第一世代、第二世代と書きましたが、いろいろあって面白かったのは第一世代。「作の技術」「花の咲かせ方」が一段と上がったのは第二世代の時代のように思えます。

 蘭に惚れ込んだ人の中に、蘭のことを「お蘭の方様」と呼ぶ人があります。なかなか含蓄のある言葉だと思います。「気品溢れる存在」とともに「気位が高く、気に入られようと思うと、並大抵のことでは微笑みかけてもらえない存在」、私も当初十年位は「お蘭の方様」でご機嫌伺いをしていたのですが、ソッポを向かれたままそのうち頭にきて、「勝手にしやがれ」と私の方も愛想ずかし。作落ちしようが枯れようが成り行きまかせ、最近では新たに蘭を入手する気も起こりません。「蘭のことは蘭に聞け」「人蘭一如」作落ちしたり枯らしたら、夜も眠れぬ位「お蘭の方様」に入れ込まなければ御意を迎えることは出来ないようで、私のようなアバウトな人間には無理な話だったようです。

 過日、チャンスがあって祇園の一力茶屋で舞妓二人芸妓二人を呼び、いわゆるお茶屋遊びを味わいましたが、二時間で食事お酒付き「舞」を二さし舞ってくれて、一人八万円。この時、「仕舞ったお蘭の方様などにタブらかされず、お茶屋遊びの方が良かった。」と思ったものでした。

 「蘭作り」「花の咲かせ方」には見切りをつけた私ですが、とはいえ「雀百まで踊り忘れず」花の美しさ「背筋の寒くなるような花」「思わず立ち止まって見入るような花」を見たいという執着は衰えず。花時にはあちこちの花会を見歩いております。まあ、よる年波には勝てず、行動力は衰えていますが・・・。

 蘭の値下がりによって蘭界は低迷していると言われていますが、花は年々良い花が見られるようになりました。最近はどこの会に行っても「思わず立ち止まって見入る花」が、一つや二つ見られるようになりました。「背筋の寒くなるような花」「思わず立ち止まって見入るような花」とは、私見ですがその花の持ち味(芸)を十分発揮した花で、ただ単に「型が良い」「色が良い」「バランスが良い」という事だけではないと思います。一般的に見れば型が良く、色が良く、バランスの良い花は見栄えがします。しかし、見栄えの良さだけでは「人の心」を揺さぶる内面に食入ってくる感動は得られないように想えます。見栄えの良さだけでは花の美を競うなら、品評会の域を出ないのではないでしょうか・・・。

 花の美に憧れ、美意識を磨き、花の持つ持ち味(芸)を認識し、それを発揮させる技を磨かれた名人によって咲かされた花は「人蘭一如」見る人の心を揺さぶり、深い感動を与えるのだと思います。

中輪咲きで端正・優美・清楚な花が寒蘭の典型として尊ばれ、花を見ながらその花の持ち味(芸)がどこまで発揮されているか問われていました。長老・古老が会を去られる頃蘭の値下がりが起こり、人目を引く大型の花、個性の強い花がもてはやされ、個々の花の持ち味(芸)は等閑視されるようになりました。しかし、審美眼のある一群の人々は寒蘭の美の典型に付いて語り続けました。その結果もあって、昨今は本筋に戻りつつあるようです。

 「不易流行」という言葉があります。時の流れによって「変わらざるもの」と「時々によって変わるもの」が存在することを指摘した言葉です。寒蘭の世界も「不易流行」の原則に従って流れて行くものと思われます。寒蘭の世界の「不易」とは花の持ち味(芸)を発揮させる事でしょう。そのことが強く深く認識されることによって「背筋の寒くなるような花」「思わず立ち止まって見入る花」にめぐり合う機会が与えられることでしょう。楽しみ多き時代を喜び、健康に留意しつつ、花の美を求めて各地の花会を訪ねたいと思っております。

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関西寒蘭会会誌編集部