さじたに話(五)
中西 昭彦
鳥取県の千代川に渓流釣りに行くようになってから早十年、様々な支流を釣り歩くうちに最も奥深い渓流の一つである佐治川、その渓に伝わる“さじたに話“に偶然出会って五年になろうかと思います。雪深い中国山脈の山奥、そして暗くて寒い長い冬、そんな冬を皆で肩を寄せ合って生きている人々、そんな人達の真ん中に老人がいて、何人もの子供たちが周りを取り囲み、老人の話に耳を傾けている。そんな佐治渓の人々におもいを馳せながら、そこに寒蘭の花の奥深さに何か相通じるものを感じつつ、“さじたに話“を“素心”に紹介させて頂くようになってから四年、今年で五年目になります。八十~九十話あると言われる中から今年は四話紹介したいと思います。
とび込み袋 昔々、さじの若い衆が五、六人で組をくんで思い立ち、伊勢参りをかねて、社会見学に出かけた。道中いろいろと珍しい事を見たり聞いたりして、一とおりの物知りになって喜んだ。「村に帰(い)んだら、みんなにも習わしたらいや」などと満足して参宮を済ませ、その日は伊勢に宿をとった。
「あああ、くたびれたないや、まあこれで、お伊勢さんも拝んだし、今夜あゆっくりとよう寝て、明日あ早よう帰(い)にかけようぜ」
買い込んだみやげ物をかたずけて寝る事になった。そこへ女中がやって来て
「お客さん、この頃蚊がよけえ出ますけえ、蚊帳あ出えときましたけえ、なあ、上手に吊って蚊にかまれんやあに中に入って寝んでつかんせえ」
と言われた。蚊帳というものを見たことの無かった若者達は、どう使うのかがよく解らなんだ。
「おい、のしらあ、蚊帳ちゃあなんだいや」
「うらもよう知らんけえど、四すまあ吊って中に寝えちゅうだけえ、見りゃあわかるわいや」
さて、寝(やす)む段になって、蚊帳の吊り方がわからん。
「こりゃあ、まあ、四つになっとるけえ、四人が四隅あ持っとってなあ、そいで代わりばんてんに中に入って寝りゃあ、よからあないや」
と言う事になって夜通し、どったん、ばったん、代わる代わるに中にとびこんで寝たということである。
そして、自分たちで蚊帳のことを
「四人(よったり)持ちの飛び込み袋」と名をつけたそうな、 土産話がまた一つ増えた。
鯛のつくり さて、昔
さじのおやじが、ある時久し振りに、鳥取の知り合いの家に立ち寄って、いろいろともてなしを受けた。あれこれと、珍しいご馳走を沢山頂戴(よばれた)したのだが、中でも一際「美味しい」と思ったもので見たことも無えご馳走があった。
「なんと、うらあ、ほんにえんりょうもなしに、ぼっこうもねえ、大よばれようしたがよう。そいで、この皿のむんは一番美味えやあに思ったが、こりゃあなんちゅうむんだいや。」
と聞いてみた。
「こりゃあ、そげえ別に変わったむんぢゃあ、ありゃあせんけえどな、鯛のつくったのだがよう」
なるほど、これが「鯛をつくった」ちゅうむんか。
「こりゃあ、良い事を聞いたわい。土産に買あて帰(い)んでみんなに食わしたらにゃあいけんわいや」
そう思って、帰りに市の魚屋に寄って見た。丁度、店先に大けえな鯛が並んでいた。それでも念のためにともう一度魚屋に聞いてみた。
「なんとなあ、うらあ一寸聞きてえだけえど、鯛ちゅうむんはどげえして食ったが一番(いっち)、御馳走になるだいや」
「そりゃあ、なんちったって、つくって食うが一番よい、つくりが一番だ」
と、よしよしとうなずいて、
「そげえすりゃあ、この大けな鯛(てえ)を分けてごっされ」 と見事な鯛を買った。
大急ぎで持って帰って来た。早速裏の畑に穴を掘って木を植えるように埋めて、早よう大けようせにゃいけんだけえ、下肥(だる)うかけたり、朝夕水をやって精出して作った。すると、しばらくたつと、鯛の目が白くなってしまった。
「やれやれ、おかげで大分目がでたがよう」 と喜んでおった。
それから間もなくして、鯛は腐ってしまってどうする事もできなかったと言う事である。
小便酒 昔 さじのある村の男が、毎日毎日 用瀬まで酒を買いに出ていた。
その頃は、別府と言う所に関所があって、通行人をやかましく取り調べていたと言う。或る日のこと、その男が通りかかったところ、役人が
「こりゃこりゃ、お前、その手に持っておる徳利の中のものは何か」
「へえ、こりゃあ酒でござんすだ」
「そんなら、わしに一杯飲ませろ、そうしたら通してやるが」
そう言われて、仕方なく酒を飲ませた。
そうして、次の日もまた次の日もと、二、三日も続けさまにやられたので、男は腹が立ってかなわん。それから何日か経った。次の日もまた例の通りだった。
「その徳利の中のものは何だ」
「今日は水ですが」
「うんにゃ、ほんとうは小便ですがだ」
「小便でもよいから、ほんの少し呑ませろ」
「そりゃあ、ちいとならようござんすけど、後で文句ういいなんすなえ」
「文句は言わん」
というやり取りの果て、役人は徳利を引っ手繰るようにして取って、ガブガブと口飲みに呑んだ。ところがそれは本当に小便を入れていたので、役人は反吐を吐いて苦しんだということである。
鰻のかばやき さて、むかし さじのあるところにひょうきんな男が住んでいた。ある日、所要ができて久し振りに鳥取に出かけた。
朝早くから、長い道中を歩き続けて昼前になってようやく街に辿り着いた。ところが街では昼食の支度中なのか、まことによい匂いが流れてくる。 鰻屋の前までくると、蒲焼の美味しそうな“かざ”にいっそうたまらなくなった。そこで、腹は減って来るし、
「この“かざ”ねえとけえで、お菜(かず)にしもって弁当を食わあかなあいや」
そう思って、早速鰻屋の軒先で弁当ごうりを開き、良い“かざ”を嗅いで、うなぎの蒲焼を食べた気持ちになって昼食を終った。
「ああ、良い“かざ”添えて昼うしたが、うんまかった、うんまかった。」
そう言いながら先に行こうとした。そこへ店の者が跳んで出てきて
「おい、おやじ、のしゃあ鰻の蒲焼の良い“かざ”嗅えで、おかずにして飯う食よおったが、美味かったらがいや、そいだけえ、その代(でえ)を払わにゃあいけんわいや」
ときつい催促をした。田舎のおやじは暫く考えていたが、早速に巾着の紐を解いて銭を取り出した。一銭玉を一枚、道に落として
「チャリン、チャリン、チャリン」
音をたてておいて、直ぐに拾って大急ぎで巾着に仕舞い込んだ。そのままさっさと帰ろうとした。すると店の者が怒って
「のしゃあ何で銭にぅ払わんだいや」 と追いかけた。
「うらあ、かざあ嗅えだだきだけえ、銭も音だけ払ゃあよからあがないや。どげえだいや。」
とやり込めて、ゆうゆうと去んだということである。
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