関西寒蘭会第42回本花展優勝花(2012年度)
  • 総合優勝 日光 又川金仁
  • 白花優勝 素光 又川金仁
  • 紅花優勝 御国の花 又川金仁
  • 桃花優勝 北薩の誉 岩本孝之
  • 黄花優勝 無銘 岩本孝之
  • 青々花優勝 銀風 立岩信彦
  • 更紗優勝 無銘 宮崎 満
  • 青花優勝 無銘 平崎清志
  • 文人優勝 桃紅 森江潤二
  • チャボ優勝 無銘 平崎清志
  • 柄物優勝 王冠 中西昭彦
  • 交配種優勝 無銘 渡辺 交
  • 早花会優勝 王道 宮崎 満

種子島便り
渡辺 交

 平成二十五年二月下旬、広島に来て五年が経ち、いつ転勤の話が来てもおかしくない状況でした。そして一本の電話が。予想どおり転勤の打診です。私の第一希望は雲仙でした。宿舎は立派、しかも標高が高いため平地よりも二~三度気温が低いという蘭にとって恵まれた環境です。雲仙に行ったら嬉野の会に入会して、なんて皮算用をしていました。しかし告げられた転勤先は、「種子島」でした。

 ショックで一瞬気が遠くなったかと思いました。人事は思い通りにならないというのは分かっていましたが、ここまで予想外の結果になろうとは。数秒後、ショックから立ち直ってまず頭をよぎったのは「春蘭は育つのだろうか?」ということでした。春蘭は低温による十分な休眠がないと開花不全や翌年の生育不良など悪影響があります。調べた結果、種子島は春蘭の自生の南限ということが分かり、転勤を受け入れることにしました。

 さて、引っ越しの準備に取りかからなくてはなりません。蘭は鉢から抜いて水苔で根巻きにします。これがもっとも安全かつ、効率的な方法です。鉢から抜いた蘭は土を落とし、根の間に少量の水苔を挟みます。サランラップに水苔を薄く広げた上にそれを置いて、太巻きを作る要領で巻いていけば根巻きの完成です。大株では時間がかかりますが、多くの場合は一株あたり三分で作業が終わります。

 種子島には蘭の専門店などありませんから、用土やプラ鉢、掛け枠をたくさん買い込みました。しかし、一定額以上の購入で送料が無料になる店があったのでこれは失敗です。

 引っ越しの荷物はコンテナで輸送することになりましたが、届くのに十日もかかるとのこと。さすがに蘭が心配になったので、大事にしている物は自分で運び、それ以外は宅配便で職場に送って、到着後箱を開けておくようにお願いしました。実験のため、枯れても惜しくない物をコンテナで運びました。幸いなことに輸送中に枯死したものは一本もありませんでした。

 荷物が届いてからは大忙しです。家具を備え付け、梱包を解き、生活必需品を箱から出す一方で、蘭の置き場作りと植え付けをしなければなりません。ベランダのサイズは前と一緒ですので、棚は前の設計を流用できます。しかし、種子島は風が強いため棚の補強が必要になりました。ホームセンターへ買い出しに行きましたが、イレクターパイプがありません。島のどこに行っても売ってなかったので、結局通販で揃えました。

 用土は川島蘭園の土が五割,日光砂三割,薩摩土一割,鹿沼土一割の混合用土です。混合したら網袋に入れて微塵を洗い流し、水を十分含ませた後陰干しして使用します。乾いた土で植えるのは抵抗があるのと、微塵が舞って家の中が埃だらけになるのを防ぐためです。土が無くなったらその日の植え替えは終了で、一日に二十鉢植えられれば上出来でした。植え替えが全て終了したのはゴールデンウィークも半ばを過ぎた頃でした。

 暖かかったせいか、根巻きの時から春蘭の芽は伸び始めていたのですが、植え込んでしばらくは思ったような成長をしませんでした。環境に慣れるには時間がかかりそうです。寒蘭は置き場が暗かったせいか新芽が小さい傾向が見られたため、育成灯を設置しました。着生蘭は空中湿度が高いため順調に生育し、広島ではハダニにやられて枯死寸前になっていたセッコクも立ち直ってきています。問題は風で、宿舎の周りには風を遮る物がありません。風力発電の風車があるくらいで、風が強い日には寒冷紗が破けるんじゃないかと思うくらい吹き荒れます。さらに海が近く、強風のときは車が塩で白くなることもあるため、それも心配の種です。沖縄ほどではありませんが、台風の襲来数が多いのも困り者です。

 離島なので生活は少々不便ですが、その分自然が残っています。昔は寒蘭も自生していたとか。今でもちょっと山に入るだけでオナガエビネやツルランの自生が見られますし、ガンゼキランの群落も見ることができました。さらに屋久島も近いので、この機会に自然をたっぷり楽しみたいと思います。



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雑 感
鎌田 徳三郎

 神戸市の北区に我が家を構えたのは昭和三十五年である。近くに菊水山があり、頂上の標識に四百五十八メートルと標記がある。この山は四季折々、景色の変わりが顕著でその美しさは私の目を奪い心豊かにさせてくれる。この素晴らしい山へ、近隣の人達がご来光を仰ぎに、そして健康管理のためにと登山者が絶えない。

私の健康はこの山登りと東洋蘭のお陰であると信じている。この町に住みこの豊かな自然環境に接して、満ち溢れた日々を送ることができ心から感謝している。

ところで、世界の自然環境はどうだろうか。近代文明の進歩は凄まじい、年毎に新製品が開発され、その機器の取り扱いすら理解できないほど目覚しい発展がある。

しかし、それがため大量の廃棄物、原生林の開拓による自然破壊が進んでいる。これが地球の温暖化を高め、環境汚染、大洪水の発生を起こし、環境破壊が著しい。

 また、世界情勢においては、申しあげるまでもなく永年に亘り紛争が絶えない。多くの国が戦争のための新兵器開発を競い、武力をもって威嚇し制圧する。恒久平和は望めない現代である。

私は、蘭を愛好するようになってから一層、自然環境保護に努めたい気持ちが強くなった。そのために日常生活において、細やかながら生塵は肥料として自然に戻す。不燃物は廃棄

せず他の用途に利用し、廃棄物は最小限に努めている。小さなことだがこの気持ちが、引いては自然環境保護に通ずることと念じている。また、日ごろから贅沢より質素な生活を肝に銘じ実行している。この生活慣習が私をこころ豊かにし、充実した日々を送っている。

私が大好きな東洋蘭の中で、最も愛好しているのは寒蘭である。清楚で優雅な花、寒蘭は

私の家族であり、わが子のように丹誠に大事に育てている。

株元に新芽が出たときの喜び!心待ちにしていた花芽の上がったときの感動!ふと放香を感じたときの感激!展示会において蘭友との再会は格別嬉しい。寒蘭は私にとって、永遠の宝物であり命である。



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さじたに話(五)
中西 昭彦

 鳥取県の千代川に渓流釣りに行くようになってから早十年、様々な支流を釣り歩くうちに最も奥深い渓流の一つである佐治川、その渓に伝わる“さじたに話“に偶然出会って五年になろうかと思います。雪深い中国山脈の山奥、そして暗くて寒い長い冬、そんな冬を皆で肩を寄せ合って生きている人々、そんな人達の真ん中に老人がいて、何人もの子供たちが周りを取り囲み、老人の話に耳を傾けている。そんな佐治渓の人々におもいを馳せながら、そこに寒蘭の花の奥深さに何か相通じるものを感じつつ、“さじたに話“を“素心”に紹介させて頂くようになってから四年、今年で五年目になります。八十~九十話あると言われる中から今年は四話紹介したいと思います。

  とび込み袋

 昔々、さじの若い衆が五、六人で組をくんで思い立ち、伊勢参りをかねて、社会見学に出かけた。道中いろいろと珍しい事を見たり聞いたりして、一とおりの物知りになって喜んだ。「村に帰(い)んだら、みんなにも習わしたらいや」などと満足して参宮を済ませ、その日は伊勢に宿をとった。

 「あああ、くたびれたないや、まあこれで、お伊勢さんも拝んだし、今夜あゆっくりとよう寝て、明日あ早よう帰(い)にかけようぜ」

 買い込んだみやげ物をかたずけて寝る事になった。そこへ女中がやって来て

 「お客さん、この頃蚊がよけえ出ますけえ、蚊帳あ出えときましたけえ、なあ、上手に吊って蚊にかまれんやあに中に入って寝んでつかんせえ」

 と言われた。蚊帳というものを見たことの無かった若者達は、どう使うのかがよく解らなんだ。

 「おい、のしらあ、蚊帳ちゃあなんだいや」

 「うらもよう知らんけえど、四すまあ吊って中に寝えちゅうだけえ、見りゃあわかるわいや」

さて、寝(やす)む段になって、蚊帳の吊り方がわからん。

 「こりゃあ、まあ、四つになっとるけえ、四人が四隅あ持っとってなあ、そいで代わりばんてんに中に入って寝りゃあ、よからあないや」

 と言う事になって夜通し、どったん、ばったん、代わる代わるに中にとびこんで寝たということである。

 そして、自分たちで蚊帳のことを

「四人(よったり)持ちの飛び込み袋」と名をつけたそうな、  土産話がまた一つ増えた。

  鯛のつくり

 さて、昔

さじのおやじが、ある時久し振りに、鳥取の知り合いの家に立ち寄って、いろいろともてなしを受けた。あれこれと、珍しいご馳走を沢山頂戴(よばれた)したのだが、中でも一際「美味しい」と思ったもので見たことも無えご馳走があった。

 「なんと、うらあ、ほんにえんりょうもなしに、ぼっこうもねえ、大よばれようしたがよう。そいで、この皿のむんは一番美味えやあに思ったが、こりゃあなんちゅうむんだいや。」

と聞いてみた。

 「こりゃあ、そげえ別に変わったむんぢゃあ、ありゃあせんけえどな、鯛のつくったのだがよう」

なるほど、これが「鯛をつくった」ちゅうむんか。

 「こりゃあ、良い事を聞いたわい。土産に買あて帰(い)んでみんなに食わしたらにゃあいけんわいや」

 そう思って、帰りに市の魚屋に寄って見た。丁度、店先に大けえな鯛が並んでいた。それでも念のためにともう一度魚屋に聞いてみた。

 「なんとなあ、うらあ一寸聞きてえだけえど、鯛ちゅうむんはどげえして食ったが一番(いっち)、御馳走になるだいや」

 「そりゃあ、なんちったって、つくって食うが一番よい、つくりが一番だ」

と、よしよしとうなずいて、

 「そげえすりゃあ、この大けな鯛(てえ)を分けてごっされ」 と見事な鯛を買った。

 大急ぎで持って帰って来た。早速裏の畑に穴を掘って木を植えるように埋めて、早よう大けようせにゃいけんだけえ、下肥(だる)うかけたり、朝夕水をやって精出して作った。すると、しばらくたつと、鯛の目が白くなってしまった。

 「やれやれ、おかげで大分目がでたがよう」  と喜んでおった。

 それから間もなくして、鯛は腐ってしまってどうする事もできなかったと言う事である。

  小便酒

 昔   さじのある村の男が、毎日毎日 用瀬まで酒を買いに出ていた。

その頃は、別府と言う所に関所があって、通行人をやかましく取り調べていたと言う。或る日のこと、その男が通りかかったところ、役人が

 「こりゃこりゃ、お前、その手に持っておる徳利の中のものは何か」

 「へえ、こりゃあ酒でござんすだ」

 「そんなら、わしに一杯飲ませろ、そうしたら通してやるが」

そう言われて、仕方なく酒を飲ませた。

そうして、次の日もまた次の日もと、二、三日も続けさまにやられたので、男は腹が立ってかなわん。それから何日か経った。次の日もまた例の通りだった。

 「その徳利の中のものは何だ」

 「今日は水ですが」

 「うんにゃ、ほんとうは小便ですがだ」

 「小便でもよいから、ほんの少し呑ませろ」

 「そりゃあ、ちいとならようござんすけど、後で文句ういいなんすなえ」

 「文句は言わん」

というやり取りの果て、役人は徳利を引っ手繰るようにして取って、ガブガブと口飲みに呑んだ。ところがそれは本当に小便を入れていたので、役人は反吐を吐いて苦しんだということである。

  鰻のかばやき

 さて、むかし  さじのあるところにひょうきんな男が住んでいた。ある日、所要ができて久し振りに鳥取に出かけた。

 朝早くから、長い道中を歩き続けて昼前になってようやく街に辿り着いた。ところが街では昼食の支度中なのか、まことによい匂いが流れてくる。 鰻屋の前までくると、蒲焼の美味しそうな“かざ”にいっそうたまらなくなった。そこで、腹は減って来るし、

 「この“かざ”ねえとけえで、お菜(かず)にしもって弁当を食わあかなあいや」

そう思って、早速鰻屋の軒先で弁当ごうりを開き、良い“かざ”を嗅いで、うなぎの蒲焼を食べた気持ちになって昼食を終った。

 「ああ、良い“かざ”添えて昼うしたが、うんまかった、うんまかった。」

そう言いながら先に行こうとした。そこへ店の者が跳んで出てきて

 「おい、おやじ、のしゃあ鰻の蒲焼の良い“かざ”嗅えで、おかずにして飯う食よおったが、美味かったらがいや、そいだけえ、その代(でえ)を払わにゃあいけんわいや」

 ときつい催促をした。田舎のおやじは暫く考えていたが、早速に巾着の紐を解いて銭を取り出した。一銭玉を一枚、道に落として

 「チャリン、チャリン、チャリン」

音をたてておいて、直ぐに拾って大急ぎで巾着に仕舞い込んだ。そのままさっさと帰ろうとした。すると店の者が怒って

 「のしゃあ何で銭にぅ払わんだいや」  と追いかけた。

 「うらあ、かざあ嗅えだだきだけえ、銭も音だけ払ゃあよからあがないや。どげえだいや。」

とやり込めて、ゆうゆうと去んだということである。



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ちょっと いい花見つけた
圓尾 栄

 今回紹介する花は土佐の東部吉良川産青ベタ舌、人それぞれの好みがあり自分の主観的見方である事をまずお断りしてからの話である事。

 よく使う言葉で詫びとか寂びとか言いますが、全ての人がそれぞれ見方も考え方も大きな違いがあります。 今回「ちょっと」と言うのは関西言葉で少しと同じ言葉で使われています。

 青花のベタ舌で土佐の古都、薩摩の薩摩、三原の青ベタなど多くの人に良く知られている良い花だと思います。今回の花も古くから仮名「黒船」と言う花で通っていた。産地は土佐東部吉良川産青花「古都」更紗の「福の神」などベタ舌と同じ坪です。関西ではまだ多く出ていなく、なかなか舌の出が難しく本咲きになりにくいが、咲いた時は目を見張る美しいものです。花の花間も良く白い縁取りと完全ベタ舌はバランスの良いものです。

 一度関西寒蘭会でも会員さんが出展されていましたが株数も少なく舌も少し切れていて本咲きにはもう少し時間がかかるように思われました。

 今後を期待したい一鉢だと思います。



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関西寒蘭会会誌編集部