寒蘭栽培にバイオテクノロジーを
野口 眞人
バイオテクノロジーといっても、流行りの交配物でもメリクローンでも有りません。バクテリアなど微生物の話です。二十代後半から始めて、やればやるほど下手になっている私の寒蘭栽培ですが、この十数年は病原菌(カビの仲間)との格闘が続いています。最新の技術でほんの少し光が見えてきたので、先輩諸氏のご意見を伺いたく筆を執りました。
準備体操
今からミクロの世界に移行するため、人によっては感覚的に付いて行けなくなるかも知れません。前もって少しトレーニングしておきましょう。「寒蘭の生長は極めて遅い」と思われていますが、本当は驚くほど成長が早いのです。成長が遅くなるのは、病原菌が作用しているからです。特殊な消毒剤(文末に詳細を付す)でバック木を完全消毒し、黒土燻炭を表土とした鉢に植えると、考えられないほどの驚異的な速さで出芽します。株分けの時期にもよりますが、二週間程度で出芽するのです。一鉢だけなら偶然という事もあるでしょうが、同様の処理をしたものは高い確率で早期に出芽します。こう言うと「信じられない。私も定期的に消毒をしているし、病気も発生していないが、そんな事は起こらない。」といわれそうですが、それは目に見えないところで病原菌などの微生物が成長を抑制しているからです。(註一)
TVコマーシャルなどで見かける、ブルーベーリという果物があります。露地栽培のものと水耕栽培のものを比べると、水耕栽培のものはブドウかと思うほど粒が大きいのです。露地栽培は農家の作ったもので、水耕栽培のものは水耕栽培設備を作っている人の奥さんが、設備の見学用に作ったものでした。一方はプロでもう一方はアマチュア。しかもアマチュアの勝利です。高度な技術と経験があるプロに、栽培経験三年目の奥さんが勝てたのは「無菌培養のお陰」という訳です。
土壌一立方㎝に一億五千万の土壌菌が生息していると言います。という事は、春蘭鉢程度の大きさに地球の全人口を遥かに上回るほどの微生物が生息している事になります。これらは植物と共生する「善玉菌」と、障害を起こす「悪玉菌」、植物とは全く無関係な菌に大別できます。上手くすれば、善玉菌が植物の根の周辺に集まって相互に必要な栄養素を受け取る「根圏」を作り出します。根圏微生物は植物の養分吸収を助けたり、根の状態を健全に保ったり、生理活性物質を生産して植物の生育に直接関与しています。
善玉菌ばかりなら何も問題は起こらないのですが、中には生きている植物に寄生し養分を吸い取るものや、病原菌のように植物そのものを餌にするものもいます。直接目に見える被害が無くても、成長を遅らせる程度の障害は日常的に発生しているのです。最新の研究では、根圏微生物の主な役割は悪玉菌を根圏から排除抑制する事にあり、悪玉菌が作用しなければ植物自体は旺盛な生育を示すという事らしいのです。
分類としての微生物は、細胞壁を持つ事から昔は植物の仲間だと考えられていましたが、最近は動物でも植物でもない第三の生物だと考えられている様です。しかも、どれほど多くの種が存在するのか、微生物界の全体像はまだ明らかになっていません。氷山一角程度が分離命名されているだけで、未知の微生物がその千倍以上有るそうです。植物に関係する菌だけでも何がどんな作用をしているのか、まだ解明されていない部分も多いというわけです。さて、視野がだんだん小さくなってきたところで、本題のミクロ圏での戦いに入ります。
植物VS病原菌
植物の体内に病原性糸状菌の菌糸が侵入すると、植物は侵入を受けた部分の周囲の細胞が自発的に死に、菌の侵入を阻止するために壊疽斑ができます。(このような自発的細胞死をアポトーシスといいます。)さらにその周辺細胞にストレス化合物(ファイトアレキシン)を集め、病原菌に抵抗します。
しかし適もさるもので、病原菌の多くは細胞を直接攻撃するのではなく、特に根部の細胞間の空隙や根冠部分から植物体内に侵入し、菌糸を導管内に伸ばして比較的短時間で地上部に到達し、細胞内に侵入します。
蘭の場合は侵入された部分にオーキシンを分泌し粘液を出して、傷口を塞ごうとしますが、厄介な事にこれが導管を詰まらせたり、バルブの表面を覆い内部で活動する病原菌を農薬から守ります。ですから浸透力の弱い農薬では効果が出ないのです。韓国からの最新の報告では、フザリウム菌(fusarium oxysporum)にはスポルタックやアミスター20が効果的との、研究者の論文があるという事でした。
当然ですが、健全な株は抵抗力が大きく、不健康な株や軟弱な株では直ぐに病原菌の餌になります。また、品種による個体差もあり、農作物や園芸品種では「対病性品種」も開発されています。
健全な株とは、充分な日照と通風、水切れや肥料不足により、適度なストレスが掛かった株で、温室でぬくぬくと育った株では有りません。日照と通風は生育の必要条件だと思われていますが、植物には本来ストレスなのです。水切れや肥料不足も同じくストレスになります。ストレスが過度になると障害になりますが、適度なストレスは植物体内にストレス化合物を作り出すので、対病性も高くなります。
しかし、日照や通風といった環境要因は望んで得られるものではなく、日照、通風が悪い場所では水切れは起こらず、潅水回数を少なくすれば肥料が停滞し、濃縮化が発生します。また、栽培年数が長くなると色々な病原菌が棚に居付くようになります。
多くの場合、鉢内だけではなく棚の周辺に飛散し、胞子で越冬するため、棚の消毒を頻繁に行っても発病株は増えていき、終には農薬の効果も無くなります。消毒によって病原菌を完全に殺菌すると言うのは無理な話で、必ずどこかで生き残っています。しかも、生き残ったものは農薬に対して「耐性」を持ってしまいます。長年栽培しているベテランが、すべからく「栽培下手」になる原因の大半はこれです。
病原菌VS拮抗菌
そこで考えられたのが、「拮抗する天敵微生物によって病原菌を抑制する」という方法です。農業分野では既に多くの「微生物資材」や「微生物由来の資材」が販売されており、最先端部分では遺伝子を組替えた微生物によって病原菌を抑制する実験も行われています。
東洋蘭に障害を引き起こす菌は真菌類(糸状菌ともいう、カビの仲間)で、フザリウム属菌、ピシウム属菌、リゾクトニア属菌、フィトフトラ属菌などです。リゾクトニア属菌の一部は蘭の菌根菌としても知られていますが、同属には苗立枯病の原因菌も含まれています。
それに対抗する拮抗菌の主なものは、放線菌という糸状菌とは別の真正細菌グループのグラム陽性細菌で、細胞が菌糸を形成して、細長く増殖する形態的特徴から放線菌と呼ばれています。放線菌の一部は抗生物質を生産することでも知られており、ストレプトマイシン、バンコマイシンなどが医療現場で使用されています。未知の抗生物質がまだまだ有るとの事で、「放線菌学会」において遺伝子解析や新種株の発見が行なわれています。
また、多くの放線菌はキチナーゼという酵素を生産し糸状菌の細胞壁を溶かす「溶菌作用」がある事から、農業分野で注目されていますが、大量に投入すれば増殖するというほど簡単ではなく、菌の移動や活着に付いて科学的に未解明な部分も含まれています。
EM菌
EM菌は乳酸菌群、酵母群、光合成細菌群、発酵系の糸状菌群、グラム陽性の放線菌群)から嫌気性、微好気性の複数の有用な微生物を集め培養し、液中に複合共生させたもので、堆肥の熟成の促進や生ゴミや下水の処理、農業資材として注目を浴びましたが、科学では無く疑似科学であるという批判もあります。
効果の有無を確認すべく、まず宮崎の黒土に水を加えてEMぼかしを練り込み、密封醗酵(嫌気性なので)させたものを乾燥させ、適当な大きさに砕き鉢表土として使用してみました。EM菌には餌として糖蜜を添加する必要が有るのですが、鉢内に糖蜜を潅注するのは糸状菌を培養しているようなもので過度に危険です。(大半の糸状菌は黒糖を初期栄養源にできる)EM菌が弱った頃に表土を取り替えれば安全に管理できるので、この方法を採りました。二年ほど試用しましたが、これと言った変化は有りませんでした。
結論から言うと、「全く効果が無い」か「効果が確認できない」という感じでした。この稿を書くために、改めてEM菌に付いて調べてみましたが、「日本土壌肥料学会」の一九九六年シンポジューム資料に、タイ国カセットサート大学、ナパバーン・ノパラットナラポーン博士らが行ったEM菌に関する資料「EM及びEM資材の有効性の評価とその農業及び環境に与える影響」の中で、「どのEM試料にも存在が認められなかった重要な細菌が二種類あり、これらは光合成細菌(中略)また、EM試料には抗微生物活性は認められなかった。」となっています。結局、EM菌による抗病原性は一九九六年の段階で否定されていたのです。
黒土による栽培
一九九九年に、宮崎県から「黒土栽培にすると、どんどん水をやっても根が傷まない、バック吹かしは百%成功する。」との話が入り、当時は販売されてなかった黒土を、無理を言ってわけて貰いました。同時に「鉢底以外は全部黒土にして頻繁に水をやる。この土は腐葉土の下にある段粒構造の黒土で、肥料分を含んでいるので無肥料で栽培する。」という栽培方法も教えて貰いましたが、水持ちの良い土だったので、水遣りは通常のまま実験栽培を始めました。その時に頂いた土が良かったのか、それ以後その鉢は植替えをしていませんが、病気は発生せず、バック木の葉も全く落ちていません。
それに味をしめて、宮崎の黒土が販売されるや否や業者から大量に買い込みましたが、見た目は同じなのに直ぐに砕けて目詰まりのする、使い物にならない土でした。そこで、「腐葉土の下にある土なら、宮崎だけではなく何処にでもあるはず」と近くの山を探したところ、極めて身近に有る事が分りそれを使用する事にしました。後で判った事ですが、宮崎の黒土は段粒構造の黒土ではなく、黒ぼく土といわれる堆積火山灰土だった様です。(註二)
それとは知らず、段粒構造の黒土での栽培を始めて、最も顕著に結果が出たのは、「バルブの底が黒くなり新芽が出なくなる病気」が止まった事でした。他にも、無肥料にも拘らず、葉幅が一.五倍ほど広くなり、葉丈も二割ほど長くなりました。また、バック木からいきなり四枚葉成木の新芽が出るなど、今までには考えられない変化が起こりました。
ところが良いとこは続かないもので、三年もすると再び病気が発生しました。また、なぜか調子の上がらない鉢も出てきて、鉢を開けると中には根が全く無くなっているなど、失敗する鉢も出てきました。
失敗と成功が極端に現れる事から、病気が治ったのは土の直接的な問題ではなく、黒土のなかに生存している何かの菌が病原菌に拮抗作用を持っているためだと考えましたが、「黒土は腐葉土由来であるからイオン交換が起こっている可能性もあるのではないか」と農学の専門家からのアドバイスがありました。
そこで黒土を蒸し焼きにして黒土燻炭を作り、それを表土に使用してみました。理由は、土が滅菌され+イオンだけで構成されるからです。結果としては、黒土燻炭では病気が止まらず、再び新芽の倒れるものが発生しました。病気が治ったのは、イオン交換によるものではなく、どうやら拮抗菌の働きだろうと推測できました。
三年後から再び病気が発生したのは、鉢という人工的な環境では特定の菌だけが増殖する事には期待できず、環境に適合した菌類が再び勢力を盛り返す為だと思われます。また、根が無くなったのは、本来黒土に住んでいた多種多様な菌の作用であると思われます。
サンデーグリーン
福留先生が花色を良くする為に発案された「サンデーグリーン」もEM菌と同様に各種の有用土壌菌をピートモス中に休眠状態にしたバイオ資材ですが、私は土壌菌の添加を目的として以前から使用しています。鉢内での増殖に成功した場合は根が赤褐色になり、根冠が健全に保たれますが、活着に失敗すると全く変化が起こりません。また、フザリウム属菌による病気だと思われる「バルブの底が黒変する病気」(黒腐病)には全く効果が認められませんでした。これはフザリウム属菌が好気性菌であるため、主に地表部や地上部に生息する事と、対抗する放線菌が比較的早い段階で、鉢内での活性を失うためであると考えられます。
多くのバイオ資材に対する評価として、研究者の側から述べられている事ですが、「異なる環境に菌を移植しても一年後には大半が死滅し、環境に適合した菌に置き換えられる。」との事で、菌を制するのは蘭を制するより難しいと言う事になります。
キトサン
ならば、放線菌の餌を鉢内に撒いて、その上で放線菌を添加するなり、やって来るのを待つという手が有りそうです。先に述べたように、「放線菌はキチナーゼという酵素で糸状菌の細胞壁を溶かす」わけですから、糸状菌の細胞壁を食べている事になります。細胞壁はキチン質でできているので、キチン質を鉢内に入れておけば、放線菌が増えるはずです。そこで考え出されたのがキトサンの添加です。自然状態での放線菌は、いたるところに存在し、主にキチン質である昆虫遺骸の外骨格を分解しています。
キトサンは既に医療や健康など他の分野で利用されていまずが、農業分野でも効果があると言われ、農業用資材として生産されるようになりました。しかし、これも他の農業資材と同じく本当に効果が有るのかどうか、科学的なのかそれとも疑似科学なのか、気になるところでは有ります。
そこで、再び前出の論文から引用します。神奈川県農業総合研究所の藤原氏は「微生物資材の生産現場での利用可能性」の中で、連作障害抑制の試験例として「微生物資材によるフザリウム病抑制の可能性」に、「中でもキチンを含むものは効果が高い傾向にあり、それを含めた三つの資材は、実験例すべてで効果ありと判定されており、病害抑止効果が期待される。」と述べています。どうやら、キトサンを使ってみる価値は有りそうです。
という事で、早速キトサンを購入し、実験を始めました。始めたばかりなのでまだ結論は有りませんが、やってみたいという方は購入先や価格をお知らせしますので、申し出てください。ただし、キトサンだけですべてが解決するとは思えません。一に環境、二に肥料、三に消毒は変わらない鉄則であると思います。
また、文中の特殊な消毒剤に付いても購入先や価格をお知らせしますので、希望される方は申し出てください。従来の農薬による消毒は、根の表面に薬剤が付着することにより予防効果を期待する方法ですが、結果的に根圏微生物の活着を阻害し成長を抑制します。今回取り上げた消毒剤は全く残留性が無く、しかも完全に殺菌できるため、早期の出芽の一因になったのだと思います。
捕捉
渋谷会長が素心三四号で有機肥料の作り方に付いて述べていらっしゃいますが、読み返してみて「さすがに良く研究されている」と感心しました。EM菌、コーラン(微生物資材)、カニガラ(キチン質)、黒土(放線菌等有用微生物)を添加物として取り上げられています。(麹菌、乳酸菌などは直接的な醗酵材料)私の場合は肥料では有りませんが、鉢内のバイオバランスを整えるという意味で、同じ結論に達したという事になります。同じ結論なのに、こちらはまだ答えが出ないという、「結果の違い」には納得が行かない気がしないでは有りませんが…。
註一 九州大学生物環境調査センター境雅夫「根圏環境と微生物」より。本来,植物の成長促進を目的とした有用根圏細菌の選抜は,特定の病原菌を抑制する生物的制御細菌(バイオロジカル コントロール)の選抜とは異なるものとして行われた。しかし,有用根圏細菌による植物成長促進の多くが根圏の有害細菌の抑制によることが明らかにされ,現在では両者に明確な違いはないと考えられている。有用根圏細菌の主な機能として,抗生物質やシアン化水素(HCN)産生による抗生,生息場所や養分の奪い合いによる競合,シデロフォア産生による鉄の競合,キチナーゼなどの細胞壁溶解酵素による寄生,植物ホルモン産生による植物成長促進,病原菌に対する植物の抵抗性誘導の付与などが推定されている。
註二 「宮崎の黒土」は黒ぼく土と呼ばれる「火山放出物の風化堆積層上部に暗褐色ないし黒色を呈する非泥炭質の腐植の集積した土壌」である。この土壌の断面形態は、二~三層に漸変的に分化している。上層の厚さはふつう二五~五〇cmの範囲にあって、下部は、弱度に発達した果核状構造で、やや緻密である。中層は暗灰色ないし暗黄褐色、下層は黄色ないし黄褐色である。これらの層の構造は中程度に発達した角塊状ないし角柱状構造で、多孔質で、緻密である。一般理化学特性としては、膨潤水や吸湿水が多く、現地容積重と仮比重が小さい。孔隙率が大きく、炭素含量が高くC/N比が大きい、リン酸吸収係数は極めて大きい。珪ばん比(SiO2/Al2O3モル比)が小さく、ばん土性が強い。
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名花の横顔 白妙 大雄 大泉 薩摩麗峰 北薩の誉
藤崎 景士
昨年に引き続き、名花の横顔と題して、駄文で紙面をお借りします。
新花は魅力があり、興味をそそられ ]日でも早く手にしたいのが入情ですが、数が少ないこと情報が乏しいこと、そして高価なのが難点です、それに比べ名花と言われる旧花は、欠点なども解明され、ちやほやされることも無くなり、価格的にも求めやすくなっている、そこで旧花に目を向けその特徴を十分引き出してやれば、面白いのではないかと思います。
前回は宮崎県の花について述べた、今回は隣県鹿児島県の花「白妙」を取り上げてみたい、薩摩寒蘭の顔ともいえる「白妙」は、古い花でありながら、根強い人気を持ち続け、多くの顔を持ち、不可解な人を悩ます不思議な蘭です、そこで「白妙」を深く掘り下げその他鹿児島の花について考えてみたい。
昨年に習って
一、品種、兄弟木等類似品があるか。
二、育ちについて、蘭の性質 光や肥料に対して強いか、繁殖はよいか。
三、蘭が持つ特徴持味の引き出し方、咲かせ方。
四、今後の問題。以上四項目について考えてみます。
白妙 大雄
一、鹿児島県紫尾山犬山の産で、昭和十年ごろ発見されたと聞く、昭和三十一年松村健三氏の命名だが、この品種ほど、沢山の兄弟木を持ち、名前が沢山あるものは無い(名前の多いことでは長崎の白西平産の西海の誉系と同様だ)。
犬山の表から裏まで全山から産出するためか、少しずつ咲き方の違うものが現れ、咲かせた人の名前で誰々系の白妙(例高橋系)などと呼ばれていた。
そのうち良花と言われているものが分類され命名され出すが、登録機関が、昔からある宮之城町の薩摩寒蘭同好会と薩摩寒蘭鹿児島県連合会と二箇所あるのも、事を複雑にしている。
思いつく名前を挙げてみると、「白鮮」(花形が平肩に咲くもの、昭和五十三年連合会登録) 「大和」 (平成二年連合会登録) 「将軍」(平成十→年同好会登録) 「紫尾の白雪」(平成十七年同好会登録)仮称では「薩摩白雪」(舌がふくよかで花弁もしっかりしている) 「萩の雪」(舌の先が爪になるので舌がねじれないと言われる)、とそれぞれ特徴がある訳だが、育て方では、普通の白妙と区別できなくなったりして、ますます混迷を深める。
葉肉が厚く、葉幅も広い、花弁の厚い重厚な花があった、舌も厚いため巻かない、ドンジ葉の「白妙しと呼ばれ、明らかに白妙とは区別できるもので、昭和六十年「大雄」(連合会)と命名された。
また大雄にもいろいろあると言われ仮称か銘々か良く分からないが「紫尾大雄」と呼ばれるものもあり地元で無いと訳が分からないほどである。
二、肥料には弱い方で根が弱く作りにくい方だ、繁殖、太りは良い、特に大雄は作りにくく根作りが難しい、陽を採って、肥料は薄く、水を切らさぬようにと言われている。
白妙系に共通の弱点ともいえる特徴が三点程有る。
その一、葉の腰が弱く葉の中ほどから折れるやすい、作り方として陽をよく採り徒長させない、葉の伸長期に支え等で葉が折れぬよう気をつける。
その二、白妙系大雄を含め全般に、花茎などに黒い染みみたいなものが出ることがある、雨水など野晒しで咲かせると出る事がある、しかし消毒して蘭舎などで咲かせると消えるので悪い病気ではないと思う。
その三、舌の厚みが両脇の向かって薄くなっている、その為開花のとき(特に湿度が無いと)注意してやらないと、細めのものではきれいに巻かずに振れたり、大雄のような肉厚で巻かないものは逆に縦に巻き細く見えることがある、開花のとき舌の巻きを加勢してやればよい。
三、この蘭ほど咲かせ方で豹変する蘭は無い、私の例でこんな事があった、二十数年前のこと大きな白妙が手に入り、大きな花茎が伸び喜んでいたところ、うどんのような太い軸に花径五センチにも満たない小さな花が花間密に咲いた、びっくり、とても白妙と呼べる代物ではない。
だが良く見ると素心で白妙の花形はしているので、もう]作してみることにした、明くる年は立派な白妙が咲き胸をなでおろしたが、原因は前の人の作が窒素肥料過多ではなかったかと思われた。
どんな花も開花後、花弁は伸び大きくなるものだが「白妙」は特にその傾向が強いように感じる、開花直後はふくよかな花も、一週間過ぎると副弁が伸びすぎたり、舌が曲がったりして、間延びしたような花を見受ける、そこでできるだけ、広弁系を求めたくなるのが入情と言うものでしょう。
また誰々系と呼ばれる良質の花も、作が悪く細い葉になると、花まで細くなり貧弱な白妙になってしまっているのを見かける、その様な事から、巷で言われているほど品種は多くは無いと思われる。精々五、六種ではないかと思います、でも花弁の細い貧弱な魅力のない花も見かけますので、注意したい。
四、従って白妙を手に入れる場合は、花を見て買うは勿論の事、葉姿に気をつけたい、葉幅と葉肉のある丈夫なものには良い花が咲くようです、白妙でも大雄より立派に咲いたりする、そこで太雄より高価な物も出てきたりするので、価格は個人の責任でお求め下さい。
窒素過多にならぬよう、開花のときに、湿度が低いと副弁が同時に開かず、舌が弁にかかり曲がって咲くので、片方の弁を開くなり、手で舌の巻きを加勢してやると良いでしょう。
白妙の記述が長くなったが他の薩摩の花についても簡単に触れておきます。
大泉
一、鹿児島県菱刈町本庄岩坪の産で昭和五十一年薩摩寒蘭鹿児島県連合会の登録、昔は何種もあるように言われた、私は、兄弟木は無いと思っている。
二、育ちは普通、繁殖はよい、夏蒸らすと葉にウイルスみたいな脱色斑点(ダニの食害のような症状)が出ることがある、但しウイルスの様な壊疽はない、(試験場で調べてもらいウイルスではないとの事)。
風通し良く作ると出なくなる、前年の葉の痕は消えないが緑がのり気にならなくなる。昔はこの痕がないと本物ではないとか、逆に有るのは登録木で無いとかいったものだ。
三、無点の固定度もよく、花形が良く、内弁の押さえよく、型崩れしない良花、花色も良いが内弁の筋に緑が少し残る、花は中輪。
また繁殖が良く立葉なので、花茎の伸びが悪かったり、花数が少ないことが多い、」新芽が多い場合は欠いで木を大きく育て、大株で花をつけたい。
四、力の有る花の割合に、最近格安な感じがする、得に小株は安いが、上木は少ない、大株にすると花も大きくなるので、大株、大木に育てたい。
薩摩麗峰
一、鹿児島県薩摩郡薩摩町狩宿の産で薩摩寒蘭鹿児島県連合会昭和五十年の登録、兄弟木はない。
二、非常に育てやすく良く増える、葉は中垂で葉色は紺が薄く、やや黄味を帯びる。
三、よく咲くと大きな無点の舌に弁幅のある濃紅の花弁の重厚な花となり見事であるが、無点の固定度が悪いのと、子房がやや短いためか、見返り咲きになることがあるので注意を要する。
四、無点に咲かせるためには、開花株の置き場に注意したい。できれば、山の様な昼夜の温度差のあるところが良いのだが、家屋の中でも次のような場所があるはずだ、日陰でよいから空の見える場所、木陰のようなところ、そこは、昼は明るく(直射ではないが空の明かりで長時間明るい)夜は夜露が落ち冷える、このような場所のない方は、薩摩麗峰を咲かせる事は諦めたほうが良いかも。
よく増えるためと悪く咲く花を見て魅力が薄れたのか、大株の木でも割安で買えるようになった、山間地方にお住まいの方とか発色に白信のある方には面白くなったと思います。
北薩の誉
一、鹿児島県姶良郡湧水町(昔の栗野町)国見岳の産で早川源蔵氏の命名で有名である、登録は昭和三十八年鹿児島県連合会登録と有る。
兄弟木は沢山有る、元々「西隆」(紅)と同坪からの産で西谷物の様に、黄芽で出るものが「北薩の晃」(鮮桃紅) 黄芽に紺覆輪を掛けて出てくるものが「北薩の誉し(桃紅)と命名された、西隆と葉姿、花形葉同じで花色だけが異なる。
先ず西隆系では「薩摩の華」(紅桃 昭和四十五年同好会登録)。黄芽では出ないが、花色が鮮紅色の「薩摩の晃」昭和四十六年連合会登録「北薩の誉」系では「桃苑」「北薩の晃」系では「桜冠」「桜扇」(どちらも昭和四十七年鹿児島県連合会登録)などがある。花形、花色がそれぞれ少しずつ異なると言われる。
二、非常に丈夫で、繁殖も良く大変育てやすいほうだと思う。
三、葉姿も中垂、濃緑の中型で大変美しい、葉が小振りのわりに、花は大輪で高く上がりバランス良く咲く、大落肩で花が大きいため花間が密になるのが欠点だが、見方によっては濃鮮桃紅色の共軸の花色と花型が整っている事、それに花数が多いことが豪華に見え美しいともいえる。
四、桃の花は発色が難しいと言われるが、その中にあって割合出しやすいほうだ、桃花というより鮮桃紅色なので咲かせやすいのかもしれない、ほどほどに咲いても結構見られる、西谷の桃のように薄い「黄桃更紗」になるようなことはない、本咲きさせるには、それなりの咲かせ方、前項のような置き場に注意を払う必要は有る。
北薩系は新芽の時が美しいし、葉姿がよいので花の無いときでも絵になる蘭だと思う、安価だが一鉢ぐらい蘭舎に置いても良いと思います。
以上私の独断と偏見で紹介しました、異論や間違いが有るかもしれませんが、一つの意見として心広くお許しいただきたい。
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「文人作り」を思う
森江 潤二
早いもので、「文人作り」を賞の対象として加えて六年が過ぎた。しかし、昨今の展示会での「文人作り」作品があまりにも形にこだわりすぎ、寒蘭の花そのものの生気を度外視した作品が多いように思う。形から入ること白体経過措置かもしれないが、やはり花の展示会である。
第一義は花の生気(花の心)である。従って、「文人作り」だから鉢を特別なものにしなければならないとか、面白い格好をしていなければならないとかは第二義、第三義の鉢映り、見立てなどに入り、鉢が良いから、あるいは、植え込みが変っていて面白い。だからといって、「文人作り」と言うものではない。皆さんも経験されたことがあると思いますが、蘭舎で知らない間に咲いていた花を見て、「はっ」としたことはないでしょうか。これこそ花の生気(花の心)です。心と心が通い合った瞬間です。白然観なのです。
蘭の生気と申しましたが、蘭にも心があるという認識の上に「文入作り」は成り立ちます。蘭と鑑賞者の間で通い合う「気」、「生命感」の動きが存在することを見出しているのです。地球上の生命の起こりは一種だったことが通説になっています。植物も動物も基は同じ。同じDNAで構成されているのです。われわれ人間と蘭とが心と心を通わす。この花こそ「文人作り」であると思っています。直幹一本作りでも「文人作り」はあるのです。この美は古今東西に通ずる普遍的なものなのです。展示会で花に惚れ込み、買って作った花が展示会のような花が咲かないギャップを多くの人が感じています。これを「作」の上手、下手で片付けるのは、蘭離れ、下降線を続ける会員数の減少助長でしかありません。直幹一本作りが、寒蘭の基本の姿だと決め付けている寒蘭界の動きが、邪魔しているとしか思えません。
「文人作り」は気楽に、楽しく作れるのです。文入たちが、絵を描くのに対象物の特徴を見極め、そこに白然の摂理を見出し、絵を描いて示したのが文人画です。金銭欲の為に書いたものでも、面白おかしく書いたものでもありません。「気韻生動」宿る高い精神性を持っているものです。蘭花は人の手が入れば入るほど、「気韻生動」は消せ失せ、白然観が遠のいていきます。造花に近づきます。
われわれ人間は白然の中に生かされています。白然をもつと知らなければなりません。しかし、現実は、白然を排斥し、コンクリート・アスファルトで固め、科学、効率を優先、地球環境の悪化、入心を疲弊させ、享楽が人生の目的であるかのように、履き違えた白由のもと、自然から遠ざかり、いや自然を賤しむかのごとく逃げているいる。仏教用語に次のような句がある。「耕運種月自由人(こううんうげつじゆうじん)」雲に耕し、月に種れば、白由人。農夫が雲を仰いで耕し。月を戴いて植える如く、古来自ら田園を耕し種を播いて、苦事労役を辞せず、弁道修行に精進する禅僧をいう。白由人とは心身脱落した証悟の境涯に達した人をいう。書の解説は上記の如くであるが、解り易くいえば、天候を見て耕し、暦を見て種を播く。自然の摂理を悟った上の白由の在り方、かって気ままな白由ではないのである。
古来、日本でも中国でも絵を学ぶ最初に四君子の描法が基本とされ、蘭が曲線、竹が直線、梅と菊は曲線と直線との組み合わせられた運筆の法として、水墨画を学ぶものの基本となった。と入門書にかかれており、蘭の項には蘭の作品には気韻があることが大切である…。と描く心得としても「気韻生動」が調われている。
先に文人作りは気楽に、楽しくつくれると書きました。私の文人つくりの基本を書いてご批判を戴きたいと思います。基本は一つ。「蘭は生命・こころある我らの同輩、春先に植え替え蘭舎に位置を決めれば、そこが大地、われわれは環境を制御し、花咲くのを手助けするのみ。蘭と会話するも触らず。」
「文入作り」の基本を守れば花期、生気溢れる生命感・気韻生動を感じる花を見ることができます。あとは蘭(植物)の性質、蘭舎の特性などを考え、対応すれば、良いのです。例えば、しだれ蘭が見たければ、上からの光を制御し、下からの光線を一番強くすれば花軸は下になびき、花は白然のまま天弁を上にして咲きます。(極端な例えですが…)誰が咲かせても、同じように咲かせられる作り方を、我々は探していかなければならないと思います。人間が出来ることは、ごく限られています。詠を遣り、風を通し、適当な光を取ってやる。産地の環境条件を良く知り、白然から学ぶのです。産地とはこの環境条件が備わっているのです。環境では地球温暖化が大きな問題となっています。
地球の命運を決めるかもしれません。人間が地球の寿命を縮めているのは間違いない事実でしょう。蘭を愛するものは蘭の生育環境条件から言っても、温暖化を阻止しようと考えることが必要であ吻、早い実行が望まれます。国政の政策は遅々として進まず、個人・企業では、「知らぬ顔」が大半を占め、先行きが見えない現状です。すべては宇宙とつながっています。個々入が総体的な思考判断が必要です。会誌「素心」第35号 日向寒蘭愛好会 栗原 稔氏が「雨水タンク設置のおすすめ」と題してかかれているように、一人一人が進めていかなければならない問題です。個入ができる温暖化防止、省エネを上げてみました。先ずは、ライフライン(電気、ガス、水道)の節約、次ぎに積極的温暖化防止では、太陽光発電、雨水利用、生塵の堆肥化野莱、果樹作りへの利用(循環型家庭菜園)、植樹・山野草・草花の植栽、白治会清掃時雑草などの緑肥化利用などが実施している・できる項目です。蘭作りも然ることながら、1アール(30坪)の家庭菜園にはまっている。無農薬、無化学肥料、手作りコンポストで生塵堆肥を作り野菜を戴く。是非お勧めしたい。これこそ賛沢(有り難いと思う)。ここ三年間、生塵は出していない。わずかな菜園であるが、作る喜び・知る喜び・食べる喜びすべての喜びがこの中にある。
小動物との語り合い、循環型農園は小中学生の教育にも最適の教科にもなり得るであろう。白然が教師なのです。白殺者も知るべき「道」ではないだろうか。
「文入作り」蘭が愛好者を増やすであろうと確信しているし、省エネ栽培でもある。植え替え以外ほとんど手間が要らない。白然作りなのです。我家の小宇宙です。
「色即是空 空即是色」
合掌
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二鉢の「藤壺」をめぐって-原種・野性の小型シンピジユウム寒蘭-
山内 敦人
寒蘭の花の特色は細長く、薄手の花弁を持った多花性の花。この一点にあると思います。他の多くの花のように花弁の幅拡がりがなく、簡素そのものです。端正・清楚・優美・気品を持ちながら、あらわに発揮することなく、つつましやかで、見る人の心を和ませます。日本人の感性・美意識にマッチする花だと思います。
寒蘭は原種野生の小型シンピジュウムです。原種・野性種という点に注目すべきだと思います。従って端正・清楚・優美・気品ありとは言え、完壁なものではなく、それどなく整い切らぬ甘さ不完全さがあり、野趣をただよわせています。
花弁について、重視されるのが「弁の切れー弁元から弁先への流ー」があります。細長い弁放「弁の切れ」弁元から、弁先にかけてスッキリと伸びていることは、重要な美的要素となります。熟視すると「弁の切れ」の優れた花は、案外少ないものです。「カモメ肩」と三口って弁元に「くびれ」のある花が間々見受けられ嫌われます。一般的に言って寒蘭の美の一つの普遍性として「弁の切れ」をあげてもいいと思われます。ただ一筋縄でいかぬのが寒蘭の花の面白さで、銘花「楊貴妃(神曲)」を見て見ましょう。「楊貴妃」には「カモメ肩」程ではありませんが微妙なコ肩のクビレ」があります。コ肩に微妙なクビレ」を残しながら、弁はスッキリと流れて行きます。一見すれば、平肩型の花型故、「弁の切れ」がいいように見えますから、肩の微妙なクビレは見逃すかも知れません。「楊貴妃」の花は、弁色が白金鶏で花型とマッチし、舌も型の良い巻舌で、舌点が淡い桃紅色で通常の寒蘭の舌点のようなクドサがありません。寒蘭の花は舌点の優美なものは、余り多くありません。「楊貴妃」の持つ雰囲気は優美この上なく、気品をただよわせています。「楊貴妃」の持つ雰囲気から言って、微妙な肩のクビレは異質の存在です白金鵜の花の中に、肩のクビレのない花もあります。しかし、この花は「楊貴妃」のように人をひきつけません。「楊貴妃」の花に「微妙な肩のクビレ」がなかったら、余りにも優美に流れ過ぎて、存在感を希薄にしたのでしょう。]肩の微妙なクビレ」という異質の存在によって、或種の強さが出て、存在感を示したと思います。人は単純な原色よりも微妙な複合色を評価します。単一・単純な美よりも、そのものの固有の美を損なわない限り、異質の美の混入するものに、より強い存在感を感じます。このことはさておき、「楊貴妃」の]肩の微妙なクビレ」ですが、一般的に見れば欠点と思われる要素が、逆転して、美的要素になるという面白さ。これこそ原種・野性の花の持つ不可思議な面白さー妙味だと思われます。もう一つ例をあげましょう。「燦月」についてです。私が蘭を始めた三十何年か前、土佐会に出かけました。その時、]人の古老が「燦月」を前にして、「寒蘭は内弁がつつましく抱えるのをもって、良しとするが、物事には必ず例外がある。「燦月」は内弁が万才しているのも大変見所がある。「燦月」は大き目の素舌が見所で、輝ききらめく月にたとえられている。舌以外は並で、舌をきわだたせるために、内が万才している方が面白い。」と言われました。「燦月」も又「楊貴妃」のように、欠点が長所に逆転する原種・野性種の面白さ1妙味を持った花です。それととも「燦月」の例を持ち出したのは、昔の人の方が今の人よりも、寒蘭を見る感性・美意識が鋭かったように思えるからです。寒蘭界]般に通用している既成の常識的な見方にとらわず、原種・野性の花の面白さー妙味を見抜いていたと言うことです。
寒蘭の美はバランスー調和が大切だと言うのが常識的な見方ですが、それはその通りでしょうが、単なるバランスー調和ではなく、バランスー調和を超えて、それぞれの美の構成要素が相互に補完しながら、全体像の美を高めていることだと思います。「楊貴妃」「燦月」の例のように、異質の存在ー本来なら美を損う存在ーが「楊貴妃」「燦月」の美を高めていますから。ーこのような面白さー妙味は、原種・野性種だからこそ見られるもので、交配種では見られぬものでしょう。造花の神の創り出した存在ー白然種たる原種・野性種は、常識的な既成の見方ではとらえ切れない神秘的な不可思議な美があるようです。このことを、しっかりと把握することが白然種・原種・野性種の美を楽しむことだと思われます。
挽花会に二鉢の「藤壷」が出品されました。「藤壷」は端正・清楚・優美・気品といった美を持った正統な典型的な花ではなさそうです。又、近年流行しているベタ舌・垂れ舌・大輪花・チャボなどのように強い個性を持った花でもなさそうです。にもかかわらず、無名花として登場した頃から、識者に評価され、やがて命名されました。その魅力は⊃三口で三口えば、特有の癖のある花といえるかも知れません。癖があるというのは、あらわにはしませんが、個性を持ち、その花独特の雰囲気を持つと言うことだと思います。「藤壺」は紅更紗のカテゴリーに入る花でしょうが、濁りがあり、ごくありきたりの更紗です。舌も無点系という以外これといった特色はなく、無点系とはいっても点がこぼれ、無点系の花として評価出来るような花でもありません。この意味ではごく平凡な花です。にもかかわらず入をひきつけるものー特有の癖は、その花型にあります。平肩咲でやや抱え気味や、うつむき加減に咲き、抱え気味・うつむき加減が「やや」という形容句通り、過度にならず、程の良さを持っていると思います。さらに花弁は太からず細からず、弁の切れもよく、弁の切れの良さが正統・典型的な花のように端正・流麗さをかし出すのではなく、抱え気味・うつむき加減の花型と、相互に補完しあって優しさ・親しみ易さをかもし出しています。そして控え目勝ちながら、何かを訴えかけて来るような雰囲気をかもし出しているように思えます。ひょっとすると「藤壷」は、私は正統・典型的な花のような際立った美しさは持っていないけれども、よく味わいながら見て下されば正統・典型的な花とは違った味を持っているのですよ。と訴えかけているのかも知れません。一般論から三口えば濁りのある花色・抱え咲・うつむいて咲く花は美的価値の劣る花です。しかし、「藤壷」はマイナスをプラスに転じております。原種・野性の花の持つ面白さー妙味だと思われます。「藤壷」は葉性も「よじれ」があり「藤壷」の花の芸を→層引立てています。
晩花会に出品された「藤壷」は六輪咲・花軸が直立し、花間のよい]鉢と、四輪咲・花軸に「曲」のついた一鉢がありました。四輪咲の方は花軸の「曲」もあって、上三輪の花間が詰り気味でした。どう見ても輪数も多く、花軸がすっきりと伸び、花間のある六輪咲の方が立派に見えます。しかし、私見によれば、四輪咲の方が「藤壷」の「花の芸」を生かして「藤壷」の持つ雰囲気を発揮させていたように思います。花軸のさりげない「曲」は正統・典型的な花と違った花軸のあしらい方で、正統・典型的な花と違った雰囲気を持つ「藤壷」の「花の芸」を一層高めていると思います。ー写真の花は鉢を含めた全体像ではないので、花軸の「曲」が強く鉢をも含めて見た場合花軸の「曲」は「花の芸」を高めていました。寒蘭の花は一部の例外を除き、葉姿を含めて、どこの花会でも見られるように、バランス良く咲かせれば、スカット・サワヤカに見え、これこそ寒蘭の普遍的・美的な咲かせ方だと言うことになっています。ですから「花の芸」は意識の外におかれているようです。寒蘭の「花の芸」は熟読吟味しなければ見えて来ないものです。
視野を拡げて「花物園芸」の世界を見ると、洋蘭は言うに及ばず、「花の芸」を鑑賞のポイントにしています。「花物園芸」の鑑賞のポイントから寒蘭の咲かせ方を見た場合、バランをとって咲かすことが寒蘭の美的特質をよく発揮させて見事だと見るでしょう。しかし見馴れて来ると、どの花もどの花も画一的な咲かせ方に疑問を抱き、個々の「花の芸」がどうなっているか、問いかけて来るでしょう。
寒蘭界は広く「花物園芸」の世界で、地位を確立するには「花物園芸」の普遍的な鑑賞のポイント個々の「花の芸」に目覚めぬ限り難しいと思われます。広く「花物園芸」の世界で、その地位を確立するのには、寒蘭の花が原種・野性種の小型シンピジュウムという原点をしっかりとおさえ洋蘭など交配種を主眼とする花の美に対抗すると言う個別的な特色を大切にするとともにー「花物園芸」の「花の芸」を鑑賞のポイントとする普遍性に目覚めなければ「井の中の蛙」に終ってしまうのではないでしょうか。
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ある日ある時
松本 眞智
梅の古枝でウグイスがぁ♪つて唄う時、春はゆっくり花を咲かせて心を和ませてくれる。ぼんくらな私はウグイスは、おまんじゅうのウグイスもちのごとく美しい緑色だと思っていた。そんな六月の初めゴミ分別していた時の事、頭の上の方で"ホーホケッキョ"えッまさかこんな近くで…と目をやるとなんとタタミの縦×3倍の処でこれ又3m位の高さで並入る若木の枝に止まって胸をこちらに向け、咽をクックックと鳴らし口ばしをチョイと上に持っていって鳴いてくれたのです。ラッキィ~
が、再びえッ何で何で!?ちっちゃくってズズケ色で…∂下向気味の思いだったけれど、なんとも言えない音色を響かせてくれた。染みた!マイハートに貧相なこの胸にさぁー♪~♪~ホォホォホォ・ホォ~ホケキョ~
少し、又少し近づいて来てくれた。枝が垂れて、空気が揺れてここかと思うとあちら、あっちかと思うともうそちらへ、ほんとに目の前にウグイスが居てくれていると思うと、私は固まってしまって息をひそめて仕事はストップ全くおかしな感じになっていて。目だけが彼を追っているのであります。私から見て右の方へ右の方へ高い枝から低い枝へ葉っぱに何かくっついているのか、ついばみながら、揺れる枝にはだけどもう本人は居なくて、ダンスしてるみたいに横へ横へ軽ろやかに終いには羽々たいて行ってしまった。とたんに私は固まりが溶けた!夕陽がやわらかく漏れている中にやさしくなってる心を感じつつ深呼吸をして暫しボォーッと至しておりました。ウグイス色って何なんだぁ? 3分かそこいらのドキュメントを観て無限の教えを援かり"あ~ッありがたい"と嬉しかった。
"ウグイスの鳴き来て緑さらに萌え"か、ウグイスは高い延の木々で鳴くものだと思っていたのに地面スレスレにでも降りて来て尚さらにそこいらをつっつくんだと分った時には感心しきりでした。我がドタマの中には花びらをくわえて梅の古枝にちょこんと止っている姿しか浮んで来ません〃二〇〇七年梅雨前の場面でございました。それにしてもアナタ蘭とウグイスとどういう関係があるんや?ウグイス蘭なんてあったかいな?無いわいな(残念!)うぐいすと名が付くのにはウグイスもち、うぐいす豆、ウグイス色等々美しいの例えではあります。
淡路のあるお寺に苔むした庭の木々の間にウズラが普通に生息しているのを発見しました。この子は葉を楽しむランですよね。その昔お殿さまやだんな様達が盛り苔にウズラとかシュスランを大事に生かせて誰れ彼れに白慢しているのが想像できるのですが…。ひょっとして皆様方のお父様たちのことだったりして...。ウグイス色の苔むしたそぼふる雨の中ウブウを見つめていると、蘭と殿方の切っても切れない、エロい?関係が少々理解る気がする。(ホンマかいな!?)そこにはある種人間の求めるはかない美意識と豊かさと癒し、憧れと云っ架様な切ない想いをランに秘めて追求したい"心"が存在る様な気がするのですが、勝手な推理でしょうか。
トンボやん? 早やッそう思って足元をよっく見てみるとトンボ草が咲いてるではあーりましぇんかぁ、歩るく道すがら毎年踏まれそうな処に沢山出現いたします。全然目立つ花では無いのですが、全身淡い緑トンボの飛んでる姿を連想させます。又この先百年位経つと日本はハワイ位の熱さ、ボルネオ・インドネシア.アジアクラスの湿度国になると予測されているそうです。(ウッソォ~!)入口も減り緑の具合もおかしな事になってるでしょうネ。するとランはどうなってる、東洋ランが西洋ランに取って変っているのか?さあ、皆さん想像してみて下さい。四季の無い日本なんて、(クリープを入れないコーヒーの様なもの?)イヤですねえ
今の内に楽しんでおかなくっちゃ 皆様との一ときを心に留めて置きたい、御縁を持たせてくれた花に、流れをつくって下さった神様・佛様にお礼を言わなくっちゃあ...。
どの花を取っても花はセラピー、可愛し、美しいし思わず触れてみたくなる、かおりをかいでみたくなる。色取り取り形様々、花は花模様、色取り取り姿様々人は人間模様、生命を育て心を育くむ存在であれ!女性の大ぁい好きな香りのひとつであります
バニラ
ちゃんは、実は洋ランなんですがねえ~!皆さん知ってました!?
男性も女性もその人白身から香り漂うバニラエッセンスを振りまいて、セラピー・オーラをかもし出せる入間に成長して行きたいものです。
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