私は淡路島に住んでいます。外から見れば狭いと思うかもしれませんが、シンガポールや東京二十三区と同じ広さで、ニューヨークのあるマンハッタン島の約二倍と考えれば、かなり広いことがわかると思います。
丘陵が走る細長い北部と平野の広がる南部に分かれ、私の所は北淡路です。自然が豊かなのは南淡路で、輸鶴羽山系は動植物の宝庫と言われます。
昨年現地の人の案内で、初めて輸鶴羽を歩き、淡路の貴重な植物を見ることができました。ササユリ、フタリシズカ、キンラン、サイコクイカリソウ、シマサルナシ、エビネなどです。
淡路花博の時に、淡路の自生植物のコーナーがあったのをご存じでしょうか。私は自分で見付けたものや展示されたものを写真にとって拡大し、学校の文化祭で紹介したことがあります。今も家でカンザシギボウシやハマボウなどを栽培しています。生命が土から生まれたとすれば、植物は私たちの祖先の祖先、同じ遺伝子を伝えるものではないでしょうか。人も草も同じ、と思えます。
さて、先の輸鶴羽散策の途中、林間で初めてエビネを見付けました。自生のものを見るのは、これが初めてです。ある種の感動がありました。薄い茶色のごくふつうの花でしたが、一株いただいてきました。
南淡路の山には四国から種が飛んで来るのか、色鮮やかなエビネがたくさん自生して、由良のお爺さんで六千株も採った人がいます(後で世話しきれなくなって山に戻したそうです)。三原や洲本にはエビネ協会があって、春に展示会をしています。『淡路の南十字星』〈大きな黄花、弁にわずかにピンク色〉、『相川の静』〈簿茶丸弁のぽっちゃりした上品な花〉、『成相の蛍』『成相の幻』〈茶と紫の交じった弁に黄色の光る舌〉、その他赤花、青花、花弁が舌化した奇花の色々などです。私も会員になっています。ただ、近年は病気が多くて、消えていく銘花があるのは淋しいかぎりです。
春蘭も、地元の人の話では、白い福広の花弁の美しいものがあったそうです。それが一晩でごっそりなくなったと言います。四国あたりから業者が取りにきたのでは、と思われます。紀州で命名された『天馬』〈広白弁、紅点散らす〉も西淡町の今高速道路が走る近くで採取されたと、その方に聞きました。
風蘭は今も三原、南淡の人の庭の木についていて、時々もらうことがあります。女流陶芸家のFさんの家に行った時、門から庭中の木にびっしりついていて、これでも大半は木を枯らすので、業者に頼んで取り除いてもらった後だということでした。
淡路でも豆葉など変わったものも出ていて、「淡路緑王」などと命名されています。風蘭もやや乱獲されて、いいものはほとんどなくなっているようです。
蘭は元々深山幽谷にあって、人が訪ねて花を見るものです。それを自分の棚に持って来て楽しむというのは、ぜいたくの極みといえるかもしれません。蘭のふるさとを忘れず、大切にして、自生地が荒れることがないよう、心がけたいものです。これまで枯らしてきた自省と自戒を込めて。
一昨年、昨年と二年続けて韓国ソウルの蘭界を訪問し親しくお話しをする中に、色々と感銘を受けたこと、考えさせられたことがありましたので、ご報告いたします。
一昨年の訪問はインターネットを通して知り合ったソウル蘭会の金楨勳さんとそのお仲間に、韓国での寒蘭趣味者の広がりと実情をお伺いすることにありました。
韓国春蘭はこちらにも名品が来ているので、実情が判らないまでも、盛んであろうことは推測できますが、寒蘭となると「かつて済州島に自生していたが、今は絶滅したらしい」と噂で聞く程度でした。
実際にお目に掛かりお話しを伺うと、現在、済州島の寒蘭は済州蘭会の管理下にあり、乱獲を防止するために監視員を配置しており、済州蘭会の承諾無しに持ち出すことはできないとのことで、絶滅を免れ手厚く保護されていることが分かりました。
また、今でも毎年小苗が出ると聞き、一先ず安心致しました。というのも、昔は日本の業者が現地の方を雇って山狩りをやらせ、良いものだけを持ち帰ったと聞いていたからです。
済州寒蘭は自生範囲が狭いこともあり、日本の寒蘭ほどの変異巾はありませんが、一文字咲きの紅大輪から、最近流行りのチャボ系やベタ舌まで、登録品種は九十四種に及びます。最近では、正三角咲きの桃腮素や紅更紗のベタ舌が展示され話題になりました。展示会も光州、済州、ソウルなどで盛んに行われています。
韓国の寒蘭で最も興味を持ったことの一つは花の咲かせ方で、日本で普通に行われているような、「一本仕立てで花を正面向きに咲かせる」といったことは全く行われていません。
この点に付いて話しを伺うと、「韓国では極一部を除いて、花を触る方はありません」とのことでした。なにぶん言葉の障壁があって、正確には解りませんが、寒蘭の花に対する評価の根本が違っているようでした。どちらかというと、中国蘭の鑑賞に近く、大株仕立てに花を数本立てて、ゆったりとおおらかに咲かせる、というのが主流のようです。もちろん手は入っているのですが、日本のように一目見てそれと解るような作り方は嫌われているようでした。できる限り人為を排した咲かせ方を最上としているようで、これには大いに感銘を受けました。
それに比較して日本で普通に行われている「一本仕立て正面咲き」という咲かせ方は、いかにも島国的とでもいうか、巾が狭くスケールの小さな評価眼であることは否定できず、今後の寒蘭界の発展を考える時に、単一の価値観で縛る現在の鑑賞方法が障害になる可能性は少なくないと思います。どちらが優れているということではなく、蘭界の将来を考える時に、多様な価値観を相互に認め合うという程度の許容性は、持ち合わせたいものだと思います。
韓国での寒蘭の最盛期は十月下旬で、私が訪れた十一月下旬は、ちょうど杭州寒蘭の開花時期でした。 ソウル市街にある「ソウル花卉市場」に案内して頂きましたが、広大な敷地に花卉業者が大量に集まっており、とても全容は把握できませんでした。しかも、その大半の店頭に杭州寒蘭の鉢植えが並べられ、新たにコンテナも到着していましたので、全部の花を見ることは全く不可能で、一区画の花を見るだけでも小一時間は掛かりそうでした。これらの花は中国から全く無選別に輸入されたもので、中には素心も混じっているとのことでした。杭州寒蘭は韓国では(少なくとも趣味者の間では)、それ程高く評価されていないことが、日本では考えられないほどの低価格を見て容易に理解できました。「それにしても、これほど大量に輸入して、果たしてニーズがあるのだろうか?」と疑問に感じましたが、その疑問も直ぐに解けました。繁華街の商店の店頭にも、銀行のカウンターにも、オフィスの片隅にも杭州寒蘭の鉢植えが飾られていたからです。話によると、韓国では目上の方に対する敬愛の念の表現として蘭の花を贈る習慣があり、中でも東洋蘭はその最上位に位置するということになっているらしいのです。「流石に儒教の国であるなぁ」と感心致しました。
韓国の東洋蘭人口は約十五万人とのことでしたが、日本では洋蘭が席巻しているギフト市場の大半が東洋蘭であれば、あながち十五万人が空言とはいえないと思います。現に日本のそれより遥かに充実した内容の東洋蘭専門誌が二社も存在することからも、東洋蘭趣味者の数が一桁多いことは想像に難くありません。東洋に限らず、自国の文化的習慣を軽視している国はむしろ例外的で、自身が依拠する伝統を蔑ろにしているこの国の軽薄さを思い知ることとなりました。
昨年の訪問では日本の業者会などに時々出てくる、「バイオ物」の取材を目的に、韓国最大の東洋蘭雑誌「蘭と生活」誌の編集長である金敬孝氏にお目に掛りました。
まず、韓国の趣味者はバイオ物に対してどのように考えているのかとお伺いしたところ、「韓国蘭界は基本的にバイオには反対である。これらの蘭が大量に出てくると、現在の蘭の価格に影響を与えるだけではなく、混乱が生じる。バイオ物も数年作り込めば自生種との見分けは不可能になるので、詐欺まがいの事件が起こる可能性があり憂慮している」とのことでした。また、「バイオをやっているのは東洋蘭関係者ではなく光州の洋蘭業者で、東洋蘭が安くなれば大量に売れると考えているようだが、これは東洋蘭の実情を理解していないからである」ともおっしゃっていました。話は個別品種にも及びましたが、差障りがありますのでここでは割愛します。
話は前後しますが、前出の花卉市場でも「済州寒蘭の白覆輪チャボ葉」と称するバイオ物があり、「日本の大手業者と交渉中」とのことでしたので、今頃は日本のどこかにあるのかも知れません。これは何も韓国に限ったことではなく、中国ではもっと正体不明の蘭が作られているとのことですし、実は日本でもバイオをやっている業者があるとの噂は聞いています。
誤解のないように、バイオ物と交配種の違いに付いて簡単に述べておきますが、交配種は人為的に名品を交配したもので、通常一代交配で親を超えるような花は出ません。また、繁殖も従来の物と全く同じで、「交配物だから大量にある」というのは誤解です。これに対してバイオ物は、従来の品種をメリクローン技術を用いて大量に増殖させるので、同一品種を数千数万と増殖させることができます。言い換えると、バイオ物とは最近話題のクローン技術のことです。また、俗にフラスコ苗と言われるものは、人工交配とバイオの中間にあり(これ自体もバイオ技術ですが)、培地に植物ホルモンを添加することにより、バイオ物の前提条件であるライゾームを大量に作ることができます。
話しを戻します。金編集長に「これらのバイオ物に対してどのような対策をされているのか」とお伺いしたところ、具体的な対処方法は全くないとの返事でしたが、韓国蘭の有名品種に付いては、それぞれの産地も所有者も把握されていましたので、当面問題はないとの心証を得ました。面白いことに、有名品種が業者を挟んで他の趣味者に渡ることは全く行われていないようで、韓国の業者はそれぞれ独自の山採り蘭を増殖販売しているようです。済州寒蘭に関しては趣味者の数も少なく、商品としては全く流通していませんから、韓国内にバイオ物が出てくることは考え難いと思います。推測の域を出るものではありませんが、大半のバイオ物は日本に違法に陸揚げされ、九州方面や最大のマーケットである東京に運ばれているのではないでしょうか。これは、九州に韓国春蘭の所有者が多いことや、済州寒蘭と称する新種(?)が東京で売られていることから想像できます。
短期間の訪問で、私の知り得たことには限界があり、韓国蘭界の一側面すら捉えられたかどうか甚だ疑問ですので、その点は差し引いてご批評頂きたいと思います。しかしながら、この度の訪韓で強く印象を受けたことがありましたので、少し触れておきたいと思います。それは日本では遥かな昔になくしてしまった、東洋蘭に対する畏敬の念が、韓国では脈々と温存されていたという点です。我々は一体いつ頃から、東洋蘭を金額のみで評価するようになってしまったのでしょうか?、蘭を愛するという気持ちが、蘭の差別化につながり、それが逆転して差別化された蘭が優れた蘭と捉えるのは当然の成行きであり、意欲が価格に左右されるのも仕方のないことではありますが、何時までもこのような意識では、鑑賞に置いて初歩の域を出ず、決して根源的な悦びを生むものではないと思います。それどころか、東洋蘭を志した初心と二律背反になり、矛盾を抱え込むことになってはいないでしょうか。
韓国の東洋蘭関係者にお目に掛かり、ともすれば品種情報のみに左右されている自分自身を省みる契機となったことは、何よりの収穫であったと喜んでいます。
追記 2013年現在、韓国で寒蘭を栽培している愛好者クループ蘭蕙=난혜(nanhie)
南大阪でフーランが槙の樹に自然生えしたこと
平成十四年八月、夫婦で京都北西部の久美浜へキスの投げ釣りに行きました。当日も翌日も海は大荒れで全然釣りにならず、二日目の早朝に宿の前の久美浜湾(内海)で釣っていると、同宿の男性が散歩に来て釣り好きとかで、いろいろ趣味の話をしていたところ、たまたま蘭の話になり、その方の家の庭にある槙の幹に十年程前にフーランが着生し、その後順調に成長しているとのことでした。知り合いの植物愛好家に話をしたところ、すぐに見にこられ、フーランの根に水ゴケを巻き、後日、採りに来られたとか。少し残して帰られたのが、その後も順調に成長してきており、美しい白い花をつけているとのことであった。場所は富田林市の一画で家の後方に森があり、植物の育成には好都合とのことですが、どうしてフーランが着生したのか、御本人も知人も見当がつかないとのこと。非常に珍しい話なので、と思い筆をとったのですがフーラン等の着生らんの生態に詳しい方がおられたら、おききしたいと思います。近畿地方の山の中で自然生えのものがあるのかどうかもお教え下さい。
四国で寒蘭の哀れな姿を見たこと
この夏に息子達と四国一周旅行に出かけた時のこと。観光と釣りと、美味しい料理が目的で出発、中国自動車道から「しまなみかいどう」を通って今治市から四国に入りました。さすが四国、車の量も少なく、順調に行き、西から東へ一周して五泊六日の旅を終えました。さて、その中で第三日目の昼前、宇和島市の南で休憩のため「道の駅」に入ったところ、いろいろな品物の中に寒らんの株を置いた一画がありました。折角来たのだから一株位、記念に買って帰るつもりで品物を見ると、十株程の水ゴケ巻きのものでしたが、どれもこれも水不足とクーラーの影響と思われ、大部分がシオれて、中には枯れているのもありました。
売店の人は無頓着なのか、誰も気にとめないのか、と可哀そうにと思いました。四国の人は蘭のこと、特に寒蘭には親しみが深いと聞いていましたが、山採り品だということでしたが、自然の破壊につながることで淋しい思いをしました。もっとも、このような状況では持ち帰る訳にもゆかず、その店を出ましたが、山採りだけに残念でした。
縞葉の草に白い花が咲いた>
数年前のこと、身内の一人から蘭に似た葉にスジの入ったものを頂戴したが、育ててほしいとの連絡が入り、我が家へ持参されました。
葉幅は少し細く葉には縞が入り、なかなか美しいものでしたが、根が蘭特有のウドン根ではなく、蘭とは違うと話をすると、置いて行くから育ててみてくれとのことでした。
順調に大きくなって昨年二株に分株したところ、今年七月に花芽がのびてきて白い花を一本の花茎に三十近くつけて咲きました。蘭ではないのですが、「りゅうのひげ」の仲間かと思いますが、小さな美しい花で楽しんでおります。今年はもう花も終わりなので、次の機会に見ていただきたいと思っております。
入会させていただいて三年足らず、実力も実績もないに等しい私に、突然の副会長の御指名に、その任にあらずで辞退させていただくべきところと思いましたが、誰かが何かを前向きに引き受けて会を盛り上げていくべしと思い、直にやらせていただくことにしました。微力ではありますがよろしくお願い致します。
さて、私の蘭歴ですが、約二十八年前、積水ハウスの宮崎店店長として宮崎へ新市場開拓に赴任した頃に逆上ります。
五棟目の契約をいただいたお客様で、椎葉中学校の山野先生より、自宅完成祝として山取り品を一鉢いただいたのがキッカケでした。まだ二十九歳の若者でした。(先生は冬になるとよく山取りに行かれていたそうです。南国宮崎とはいえ、椎葉村では冬には雪が四十~五十センチ積もります。その雪解けを待って山に入ると、他の草が枯れて茶色になっている中で、青々とした緑をみせる蘭は見つけ易いのだそうで、冬こそ採取のチャンスなのです)
二十センチ足らずの三枚葉で、それも一条立ち、それが細長い小さな鉢に植えられていました。それを見せられた時、なぜかビリビリときてしまったのです。
青竹の筒に入れられた一輪の椿、降り積もった雪の間から顔を覗かせている薮やぶ柑こう子じの緑の葉と小さな赤い実、これまでの自分の記憶の中の強烈な印象として、いつまでも残っている姿に通じていました。
それからまもなく、事務所のすぐ近くに蘭専門の小さな店があることに気がつきました。いつ行っても、一人の戦争未亡人らしき留守番役の婦人と数人の愛好者が集まっては、熱っぽく蘭談義に花が咲いていました。
昼休みに訪ねては話を聞いているうちに、宮崎だけではなく鹿児島や四国・高知にも蘭が自生していて、愛好者が多数いることや、交換会や展示会がさかんに開催されて、そこでは花が評価の中心であり、高価な価格で取引されている。その儲けで家を建て、子供を大学まで出した。というまるで別世界のあることを知ることになりました。中でも『豊雪』という真っ白な花の咲くものがあって、成木一本一千万~二千万円もするといわれていました。その他『日光』や『白妙』が三百万~五百万円でした。宮崎大淀町の宮田さんという方が宮崎でただ一人『豊雪』を持っておられたそうです。私が契約させていただく家が一棟百五十~五百万円、一応トップセールスだった私の給料が十二~十三万円の時代です。
全く信じられませんでした。そして限りなく悲しい思いが残りました。
そんな私に店の主人が「『日光』なら小さいけど三十五万円ぐらいなのがあるよ」と声を掛けてくれました。本当に小さい木でしたが「土佐で優勝した木のバックの芽ふかしだ」との話、超一級品、夢の蘭である『日光』が手に入る! これがいけなかった! ついにボーナスをはたいて買ってしまいました。
それから間もなく豊美園の藤崎さんと知り合い『日向白龍』を入手するに及んで、すっかり蘭の病に取りつかれ、今やどんな名医も治すことは不可能です。
『日光』購入の後日談として、子育ての真っ最中である身でありながらのバカな買物、当然女房殿はあきれるやら怒るやら、当分の間、我が家は不穏な状態が続きましたが、今は亡き父が一言「女遊びでもして何百万円もの慰謝料をとられたと思えば、安くて健康的な遊びではないか。黙って許してやってくれ」。これで女房も得心がいったのか、以後あまり文句を言わず、時には水やりを手つだってくれたりしています。『日光』も今ではすっかり大きくなり、何人もの人に分株もして、毎年美しい花を咲かせて楽しませてくれています。
次に私の栽培方法について、少し紹介させていただきます。
温室をもっていないので、夏は外で、冬は室内に取り込むという育て方を最初からやっています。基本は
①夏はヨシズ等で、できる限り遮光と風通しをよくする。
②冬は北東の部屋に取り込んで朝日をしっかりとる。但し温度はかけない。
③水と肥料は、鉢を大・中・小に分けて手帳に記入して一定間隔で与える。肥料はミネハグリーンとハイポネックスで三千倍ぐらいにして回数を多くする。
④初秋の夜露をとるようにする。
以上のようにして育てています。欲を出し過ぎないようにすれば、これ程育て易い植物はないというのが実感です。私は欲張り過ぎて失敗を繰り返し、小苗から始めたこともあって、やっとここ数年成木がそろってきたところです。今年はやっと『素光』の初花がみられそうです。
蘭と知り合って三十年近く、もともと植物が好きでしたが、中でも六月頃から晩秋までの新芽が日々成長してくる様、あの若々しい緑色に新芽の成長してくる姿が特に好きで、何時迄見ていても見飽きることがありません。一点の濁りもない清々しい緑色の新葉は、見ているだけで心洗われる思いと、生きる力と勇気を与えられるようです。職業柄、ストレスがたまり易いのですが、寝つかれない夜は水割りを片手に庭に出て蘭に会うようにしてきました。また、家族が寝静まった頃、好きな鉢を持ち込んで、盲目のテノール歌手、新垣さんの愛燦々とを聞きながら一杯やる――まさに至福の一時です。
蘭とともに生きてきた人生、常に心を癒し続けてくれた蘭に感謝、感謝です。色気はないが空気のような存在の女房とこの蘭が私の人生をここまでささえてくれました。これからはここまで育ってくれた蘭の本咲きにチャレンジしながら、さらに色どりのある人生を生きてゆきたいと思っているこの頃です。
遠慮がちに我が家の住人となったはずなのに、今や字の大きさと同じで狭い庭を占領し、寒い冬は家の中でのんびりうれしげに並んでいて、どうグチッてみても呟いてみても勝つことができず、「蘭子ちゃん」には負けると独り言を言ってみます。
雨の日も風の日も宮沢ケンジの如く何を語っているのか、前に立って逢瀬を楽しんでいる夫です。
「ただいま」の声の後、私を素通りして一直線に待っている物言わぬ彼女のもとへ……。こんな生活をはじめて二十数年、諦めなのか悟りなのか、恐ろしいものでこれが当り前の生活になってしまいました。
しかし、こんな世の中になってもうつ病にもならず、毎朝出かけて行く姿を見ると「蘭子ちゃん」のおかげと少~し感謝もしています。
あまり肥料もやらずスリムを維持し、よく無理な願いに答えてくれているものと……。妻に望めぬものを求めているのでしょう。
台風が来る度に、家の中へ招き入れる折、スマートなはずなのに何と重いこと重いこと。大切に招き入れたはずが、何も知らぬ犬にかじられ、ガックリしたこともありました。
咲いた花をつゆ草みたいだと言うと、感性がないと文句を言ったり、一鉢隠してみても足りないことにすぐ気付き、忘れ物が多くても「蘭子ちゃん」のことは覚えていて、おかしくもあります。
運命共同体、蘭は主人にとっても私にとってもそんな仲間になってしまいました。主人よりも私よりも長生きするであろう蘭子ちゃんの行く末を思うと心配でなりませんが、できるだけ長く共同生活をしたいと願っています。
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関西寒蘭会会誌編集部
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