春蘭の咲かせ方について
渋谷 博
はじめに
日本春蘭は北海道の一部を除き日本全域に自生しており、寒蘭より作りやすい蘭である。
私が春蘭を作りはじめたのは昭和五十年ころからである。当時、日本春蘭は関東で人気があったが、関西では日本春蘭より中国春蘭を作っている愛好者が多かった。それは気候の違いで、関西地方では綺麗な花が咲かないとも言われていた。
私は中国春蘭の香りが大好きで作りはじめたが、偶然、「紅陽」が色よく咲いたことで、日本春蘭の発色に興味をもつようになった。
偶然良い花が咲いたのでは嬉しくない。安定した花を咲かせたいと思ったのである。
花の発色や果実の甘味は、固体に含有する色素や糖度にあることは知っていたが、その基本を学んだことはなかった。
まずは植物の文献から花色の基本となる色素ついて学んだ。花色や発色の違いは、蘭の固体に含有する色素の性質によること。色素の分解や糖の消化は、強い採光や高温、極度の低温、などが原因すること。特に真夏の猛暑、熱帯夜が長引けば、よい発色が期待できないことを理解したのである。
その知識を基に、色花の実践に努めた。最初にはじめたことは、年間を通して蘭作りをノートに記録することにした。
次に、発色を知る方法として、品種個々に新芽の色や葉性。花芽においては、開花前の蕾の色、咲き始めたときの色、咲ききった後の変化。など詳細に観察し記録した。その長年の積み重ねから、概ね品種の特長が見分けられるようになった。
一 色花の区分と見分け方
蕾の色や咲き方の過程を観て、一般に言う、天冴え種、後冴え種。その中間種を加え、三区分した。
この中間種とは、私の個人的見解である。
この見分け方は、遮光管理が適正に行われてあることが基本で、無管理の状態では判断できない。
1 天冴え種=宝玉・天心・東天紅・東源 など
開花前、包皮中の蕾の色を観て、濁りがなく花色が鮮明に見えること。
遮光管理にもよるが、咲き始めの発色は綺麗だが、花が老化すると退色する品種がある。
2 後冴え種=極紅・多摩ノ光・篝火 など。
開花前、包皮中の蕾の色を観て、濁りがあり天冴え種ほど花色が鮮明でない。開花が進むと弁元から弁先に向け、次第に色が濃く増す。花が老化すると、一層、色濃く冴え退色しない。弁先や弁元に緑が残るのは、後冴え種の特徴と理解している。
3 中間種
後冴え種と天冴え種の中間にある品種である。
色素の性質から、その中間にある品種にも、後冴えに近い品種、天冴えに近い品種がある。後冴えに近い品種は安定した発色をする。
⑴ 天冴えに近い品種
赤紅種= 舞妓・紅貴・紅明・紅梅仙 など。
⑵ 後冴えに近い品種
①赤紅種= 女雛・紅陽・君子・清香 など。
「女雛」「君子」は初心者が作っても綺麗に咲く。
「清香」は交配種(女雛×清姫)だが、
女雛より大輪に咲き、花形もよい。
②黄花種= 琥珀殿・黄麗殿・松の光・黄将 など。
赤花同様、弁先に緑を残す特徴があり、日毎に色濃く増す。
③朱金種= 玉英・光琳・白浜小町 など。
開花後は、一層色が増す特徴がある。
二 年間の管理について(兵庫県南西部の気象を基準)
四月上旬=植替え・施肥・成木株の移動
1 植替えは、春蘭展が終わった後、株の状態を見て行う。通常二年に一回。上土の交換は毎年、春と秋に全鉢行なっている。
⒉ 肥料は、自作の好気性発酵肥料を使っている。成木は熟成肥料を施し、小木は窒素分が高い若い肥料と、マグアンプKを施している。
肥料学によると、発酵肥料には、微生物が着生共存しており、肥料効果だけでなくその免疫効果で、病気に強い植物が育つと言われている。だが、微生物は陽光に弱いので施肥は土中に混入している。
その趣旨から、肥料は通気性のある麦袋を使用し、日照のない土間で保管している。
従って、ビニール等で密封された肥料は、微生物が死滅しており、免疫効果はないと理解している。
3 成木株の移動は、防虫網を備えた風通しのよい、蘭舎外軒下棚へ移している。陽光を採り健康な蘭を作ること。蒸れの予防、真夏の猛暑や熱帯夜の影響を少しでも避けたいからである。
蘭は、早く朝日が当たり、早く日陰になる位置に、天冴え種→中間種→後冴え種→複色花→縞花・青、の順に置き、日照にも細かく気配りしている。
五月下旬~六月下旬=殺菌剤・殺虫剤散布
殺菌剤は主にトップジンMを使用、連用を避ける。
治療薬と予防薬の違いがあること。殺菌剤は肥料中の微生物を死滅さるので散布に留意している。
殺虫剤は主にスプラサイドを使っていたが、発売禁止になり、今年から「エルサン」を試行している。
七月上旬~十月中旬迄=花芽の確認記録
色花は、十五日毎に上土を除き、花芽の有無、大きさを記録する。記録は記号で簡略に記す。
この観察記録は、花芽が土を切る日が予測できるので見落すことがなく、むしろ手数が省ける。
七月中旬=花芽促進剤散布=「ホスポンーF」。
同薬剤は第一燐酸加里である。新芽の成長に影響するので早期に散布はしない。
「舞妓」の花芽は、六月上旬に土を切ることがあるが、七月上旬迄に出た色花は全て除いている。
早く出た花芽は熱帯夜の影響が大であり、遅く出た花芽ほどその影響が少なく、良花が期待できる。
七月中旬=土盛り・キャップ被い
1 土盛りは、観察記録から花芽が上土を切る前に施す。花芽を予測して早めの土盛りは、鉢中が蒸れ、新芽のズボ抜けを起こす原因となる。
用土は、保湿性の少ない薩摩土の小粒を用いている。土盛りの用具は、園芸用の網で作る。
2 遮光キャップは、土盛り中の花芽を観て施す。
材料は厚手のアルミホイルで作る。 (写真№1)
九月下旬=殺菌剤、殺虫剤散布
九月下旬=植替え・施肥
1 植替えの有無は、花芽確認時に根の状態を見て行なう。上土の交換は全鉢行っている。
2 肥料は色花に影響すると言われているが、熟成肥料は化学肥料と異なり、発色に影響はない。
十一月下旬=戸外作場の成木株を休眠させるため、遮光のある半日陰の蘭舎へ戻す。
十二月中旬~下旬=昼間の外気が10℃以下になった頃、後冴え赤花種のキャップを除く。
早朝、二時間程、ダイオネット越しに外気の弱光を採る。低温時の弱光は、糖を蓄積し、発色を高めると理解している。
一月上旬~一月中旬=後冴えに近い赤紅種、紫花種のキャップを除き、早朝の弱光を採る。
一月中旬~下旬=天冴え赤紅種のキャップを除き、
早朝の弱光を採る。
一月下旬~二月上旬=後冴えに近い黄花種、後冴えに近い朱金種のキャップを除き、早朝の弱光を採る。
その他の黄花・朱金種は、開花前にキャップを除く。
三 加温による開花要領
展示会期に合わせ咲かすには、冬期の蘭舎を開放し、蘭を完全休眠させておくこと。無加温で上限8℃迄が理想である。
休眠不足の蘭は、加温しても動きが鈍く、予定日通り 開花しない。10℃以上の日が続くと、品種によるが自然開花するので注意すること。
加温は、温度設備のある蘭舎が便利である。床は保湿のある土間がよい。
少数鉢の場合は市販のワーディアンケースがよい。室内の採光は、太陽光線に近いと言われている育成灯、
「バイタライト・ねじれ形」を使っている。
1 3月10日が展示会とした場合、加温事例
展示会期日の一週間前に開花させるよう設定する。
この時期では経験から、開花するまでの日数を、二十五日間と設定する。
⑴ 2月13~20日=加温開始(八日間)
昼間10℃、夜間7℃に設定。開花の兆しを促す。
⑵ 2月21 ~3月2日=温度を上げる。(十日間)
昼間15℃→23℃ 夜間7℃→10℃迄に設定。
十日間をかけ、徐々に温度を上げる。昼夜の温度 差10℃が理想である。
但し、紫花に関しては上限温度16~17℃迄とする。日本産の紫花は高温で脱色する品種があり、留意のこと。 (詳細は後記 四―4)
⑶ 3月3日開花=展示会までの期間(七日間)
咲いた花から順次、屋内廊下に移す。直接外気に出さず、開花後一週間ほどかけ常温に戻す。
⑷ 3月10日=展示会
2 加温時の採光について
採光時間は、三月中旬の日照時間に合わせ、弱光で、午前6時から午後7時迄とする。
採光加減は育成灯を使用し、概ね、早朝から正午迄としている。
⑴ やや強い採光=赤花後冴え種・覆輪・複色花・青
⑵ やや弱い採光=赤紅天冴え種・紫色種
黄花、朱金の後冴えに近い品種。
⑶ 弱い採光 =一般の黄花や朱金種など。
3 産地による開花時期の違いについて
九州産の品種は常温で四月中旬に咲く。また、秋田県産など寒い地方の蘭は、品種によるが常温で三月下旬に咲く。中国産は二月下旬に咲く。
即ち、寒い地方産の蘭ほど早期に咲き、暖かい地方の蘭は遅く咲く。
従って、展示会に合うように咲かせるには、性質の違いを理解し、加温日数の調整が必要である。
四 雑感
花作りは、後冴えに近い中間種が無難だが、それでは楽しみが少ないと思っている。
深く楽しむには、やはり後冴え種である。本来の花色が極められていない品種がある。その花色を追い求めるのが興味深く楽しいものである。その経験から
1 「極紅」のこと
極紅は千葉県産の赤花である。最近の趣味者に忘れがちな花であるが、典型的な後冴え種である。
後冴え特有の濁りが乗ることが多い。しかし、よく咲けばこの花に優る花色はないと思っている。
因みに、「極紅」の特長がよく現われた写真を提示。
平成七年、大阪国際蘭展出展 (写真№2)
東洋蘭個別部門・最優秀賞を受賞する。
2 「若桜」のこと
若桜は千葉県産の赤花である。作りよい蘭であるが、色出しが安定せず、多少難しい品種である。
作りはじめの頃、本来の花色を探り何度か咲かせたが、緑と桃色が混じる複色花に、弁先が緑に弁元に向け真っ赤に咲くなど、様々であった。
花の良し悪しは、その年の気象や遮光加減で微妙に変化する品種である。
本咲きは、濁りがなく真っ赤に咲く。しかも平肩で大輪、葉上に抜け雄大である。
平成八年、神戸国際蘭展出展 (写真№3)
東洋蘭個別部門・最優秀賞を受賞する。
3 「篝火」のこと
篝火は千葉県産の赤花である。後冴え種であるが木作に難があり、花付きもよくない蘭である。
昔のこと、蘭友が篝火の花を持って訪れ、花色を聞かれたことがあった。花は赤く冴え実に綺麗だった。篝火は度々咲かせたことがあるので、「よく咲いているが、篝火の花色は命名文字のとおり、たいまつ松明の色だと私は理解している。その炎の色から、弁元が火のように赤く、弁先に向け炎が燃え上がるように赤黒く濁る発色が、本来の花色だと思う。遮光は早めに解いた方がよい。」と話した。
4 「伊予茜」の失敗話
伊予茜は愛媛県産の紫花である。
平成九年二月のこと、ワーディアンケースで加温中、夜中に覗いたところ、紅色でもなく紫色でもない、今まで目にしたことがない冴えた発色に驚き、思わず妻を起こしたほど、冴えのある色であった。
この時の温度は、昼間18℃夜間10℃と記憶している。
開花中のことで、翌朝、通常どおり温度を20℃に上げたのである。その正午のこと、昨夜の発色は消え、濁りが乗り薄紫色に変化していたのであった。この時、紫花の上限温度は16 ~17℃迄と実感した。
その経験から、温度に過敏な品種は、加温時だけではなく、夏期は涼しい環境で作り、色素や糖の保持に努めるべきと認識、高山で蘭作りができたらと贅沢な発想をしたことだった。
5 「白浜小町」の欲目
白浜小町は紀州産の朱金花である。命名登録されて間のない頃、展示会場で初めて白浜小町の花を見た。中葉の締まった葉性で、花形や発色も良い。朱金花と言われているが、赤紅に咲くと直感したのである。当時は、まだ品数が少なく高価であったが無理して、二度も棚受けした。
朱金種や後冴え種の要領で何度も試したが、紅色の強い朱金色に咲くが、赤紅色に咲くことはなかった。赤紅花に咲けば、大出世と期待したが叶えることはなかった。欲目の一例である。
なお、朱金種の開花方法は、加温直前に遮光を解くが、赤紅色の強い朱金種は加温する十五日ほど前に遮光を解き、早朝に弱光を採ると、一層色濃く咲き、その差は顕著である。
6 黄花種の後冴えについて
通常、黄花の色分けはないが、長年の経験から、発色の違いを観て区分した。
一般の開花方法は、朱金種と同様、加温直前にキャップを除くのであるが、この種の開花方法は加温する十五日ほど前に遮光を除き、弱光を採ることにしている。朱金種後冴え様の見解と同じである。
7 蒸れの黄花のこと
昔、気象条件のよい東北地方で咲かせた黄花が出回ったことがある。経験者なら発色を見れば直ぐ分かることだが、翌年咲いた花は極薄い緑花であった。
即ち、蒸れの黄花である。良くない事例だが、買った趣味者には高い授業料となったと思う。
8 白花について
白花の咲かせ方は、蕾から花が咲くまで、蕾に合ったキャップに取替え遮光すること。開化後も薄暗い部屋に置けばよい。この開花方法は株を痛めやすいこと。日本産には、白花の色素をもった品種は極少ないと思っている。遮光技術で白く咲くが、これは単なる蒸れ花に過ぎないと理解している。
9複色花・覆輪花・縞花などについて
この種の品種は、色彩が不鮮明な花を良く見る。基本的には遮光の必要はないが、例えば、坪取りが広い「桃山錦」の中には、赤味の強い花がある。この種の花は、赤花後冴え種と同じ遮光要領で咲かすと、鮮明な濃赤色に咲く。全ての品種に言えることだが、過去の常識に囚われず、発色過程をよく観察してみると、新しい発見がある。
10 変わり花(奇花種)について
加温して咲かすと、特徴のない並花に咲くことが多くある。本咲きさせるには、常温で咲かせることが無難である。その例として、本年、私が出展した、変わり花部門入賞花「緑翁」は、失敗花である。
本咲きの写真を掲示した。 (写真№4)
11 花軸のよく伸びる品種について
「紀ノ白帆」や「露雪」など、紀州産の品種に多い。
急激な加温は、モヤシ様に徒長することがよくある。加温する場合は、湿度を抑え徐々に加温すること。
出展するには、少なくとも展示会日の一週間前に咲かせ、花軸が安定してから出品が無難である。
12 冬期の管理について
近年、異常気象の影響で、当地でも氷点下2~3℃になることが、年に何度かある。加温設備のある蘭舎なら安心だが、屋外の蘭作りは天気予報をよくみて防寒対策を怠らないこと。上土が凝っても自然解凍が無難である。湯をかけるのは厳禁、また直ぐ潅水すると、氷点下の日が長引けば凍結に追い討ちをかけることになる。被害に合うと三月上旬には、花芽が徐々に枯れ落ち、下旬には葉も枯れる。近年、冷害で蘭を枯らしたと、よく聞くので留意のこと。
13 肥料について
私が蘭に施している肥料は、自作の好気性発酵肥料である。肥料を作りはじめたのは、蘭をはじめた頃とほぼ同じで、もう四十数年になる。
専門書から基本を学び、嫌気性肥料の作り方や、いろんな肥料を作り、草木にも試した結果、東洋蘭には、好気性発酵肥料が最も適応していると実感した。
好気性発酵肥料の作り方は、過程の一部を除き、酒造りの発酵過程と同じで寒の入りに作る。
材料配合時の水加減に始まり、こまめに温度管理や撹拌。その年の気象で発酵に変化も起こる。それらを把握して発酵中の臭いから肥料のでき具合が判る。
失敗談を聞くが、数年の経験では、発酵が完熟か腐敗の違いが分かるものではない。腐敗した肥料を施こすと、一年草の花は影響が少ないが、宿根草の蘭には根傷みが顕著である。安心できる肥料が、そう安易に作れるものでないことを添えたい。
14 新種の棚入について
花を見ないで棚入れすることは、まずないと思うが、最初は遮光せず自然に咲かせること。色花の性質を見極めてから、花に合った開花管理をしている。
おわりに
地球温暖化がはじまってから、もう二十余年になる。その影響を受けて魚類や動植物の生態に異変が起こっている今日である。
街中の紅葉は見られたものでないが、高山の紅葉はよく冴え美しい。高山は真夏の暑さや熱帯夜の影響が少なく、昼夜間の温度差があり湿度もある。それが色素や糖度を保持されているからと理解している。
その環境において、毎年、安定して良い花を咲かせることは難しいが、基礎知識を心得ていればそれなりに良い花が咲いてくれる。
一昨年、関西寒蘭会の会員で結成されてある、春蘭の会「幽香会」と本会が合併したので、春蘭に馴染利みがない方々へと思い寄稿した。
この記事は、私が長年に亘る春蘭作りの観察記録を総括したもので、学説と異なる内容も多々あるが、専門用語を使わず初心者に分かりやすく記述したのである。




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