関西寒蘭会第41回本花展優勝花(2011年度)
  • 総合優勝 旭鳳 渋谷 博
  • 白花優勝 豊雪 岡崎 春海
  • 紅花優勝 無名 岩本 孝之
  • 桃花優勝 日光 渋谷 博
  • 黄花優勝 光林 岡崎 晴海
  • 青々花優勝 司ノ華 渋谷 博
  • 更紗優勝 品代錦 宮崎 満
  • 青花優勝 宝珠の月 渋谷 博
  • 文人優勝 月輪 森江 潤二
  • チャボ優勝 玉金剛 中西 昭彦
  • 柄物優勝 銀河 渡辺 健清
  • 交配種優勝 玉の浦 平見 重樹
  • 早花会優勝 素雪(交配種)中西 昭彦

「雄飛」の約束
中山 吉晴

 小雨の降り続く蒸し暑い六月中半のことだった、と記憶している。

 武雄市の光武勝己さんを訪ねた。南側の窓際に恵蘭棚のある部屋へ通された。以前から気がかりだった緑々梅弁のエビネを見に行ったのだが、恵蘭棚の下に置いてあった、葉丈十五糎程のバック出しの小木に新子付きの寒蘭に目が釘付けになっていた。

 「光武さん、この寒蘭は何ネ?」
 「雄飛たい」
 「えっ、あのあの昨年登録された雄飛?」と念を押した。
 光武さん宅から登録者の北島さんの家までバイクで二分ぐらいの所にある。雄飛が株分けしてあったので持ち帰ったとのことだった。

 恵蘭の愛好家だけに話は早かった。「○○万で持って来たから、それでいいなら持って帰ってよかよ」とのこと、やった!と心で叫んだ。雄飛が我が家にくるとはとても信じられず、突然の嬉しい出来事だった。

 その雄飛の花を知った起こりは、入手した前年の昭和五十二年、嬉野の展示会に今まで見たこともない、一文字平肩咲きで、弁元は黄色にぼかす広舌無点の素晴らしい花が出品されたのである。 弁先の黄色のぼかしがタヌキの尾尻みたいな色彩だったので、私と懇意の五町田酒造の社長さんとが、この花のことを通称“タヌキのシッポ“と呼んでいた。

 その二週間後、社長さんと当時の山口副会長、山下登録部長と私の四人で薩摩寒蘭同好会の展示会を見に宮の城へ向かった。その車中のこと、当日の午前中に山口さんと山下さんが武雄市の展示会の審査に行かれた際 “タヌキのシッポ”と呼んでいた花が「雄飛」と命名され、出品されていたと聞いたのであった。

 目指していた宮の城の展示会は、私の勘違いで、前日の一日で終わっていて見られなかった。仕方なく宮の城の業者の棚を見て回ることにした。業者H氏の棚で、山口さんが白妙の新子休みで花付きの一篠を○○○万で買われた。その機知に富んだ買いぶりと決断に唖然としたことだった。今と比べ、昭和五十年代は名品といえば三桁する高価の時代であった。

 宮の城から帰って一週間後、佐賀市文化会館において、肥前寒蘭佐賀県連合会の第一回展示会が開催され、期待の雄飛や五島の紅無点花も出品されていた。雄飛は嬉野へ出品されてから一ヶ月近くになるが、花型の乱れや色彩に退色もなく、端然とした花容で名花の風格すら感じられた。

 また、五島の紅無点は、小輪ながら濃紅な花色に魅力があった。聞くところうによると、長崎の展示会で苗物を五百円で買ったものらしい。展示会後、この紅花が「聖代の華」と命名登録されたのである。その数年後に嬉野へも出品されたが、木も五十糎を越す大葉となり、花も十一糎に及ぶ一文字咲き大輪花へと変貌した。現在、聖代の華は、私の棚に中木数本があるが、他にはないと思われる。

 余談が長くなったが、昭和五十二年十月、雄飛に対する私の思いを告げるため、登録者の北島源六さんを訪ねた。丁度蘭舎から出てこられたところで、白髪の北島さんと顔を見合わせた。ところが無言のまま自宅へ入られ、なかなか出て来られないので帰ろうかなと思案していると「どうぞ、立ち話しは何だから、あがらんね」と応接間へ通された。

 数年前からあちこちの蘭会へ顔を出す、小太りのうら若い私を見て思い出されたのだろう?と安堵した。お互い軽い挨拶を交わして間もおかず、私の思いを語った。「肥前寒蘭は、土佐や日向、薩摩などに比べ全国的な認知度が極めて低いですね。土佐は西谷物、日向は日向の誉や竜雪、薩摩は白妙と、産地の特色を持った名花を出していますが、残念なことに肥前は名花がないです」と息つくまもなくさらに「雄飛はこれらの花に匹敵する花だと思います。肥前には雄飛ありと言われる花に出世させたい!そのためには、福岡市で開催の九州連合会展や、東京や関西の寒蘭展に雄飛を出品して、肥前寒蘭の地位向上を図るべきだと思います。

 その懸け橋を私に任せてください」と語気強く懇願した。時折うなずき、聞いておられた北島さんが「よく分かった、常々私も感じていた。あんたのような若者が頑張ってもらわないと肥前の発展は望めない」「なら雄飛を私に売ってください!」「えっ、お金でゃ、お金ばどぎゃすんな」蘭をはじめて八年ぐらい、山採りばかりで、交換してもらえるような花もなく金もなしで、気勢だけではどうにもならないでいると、「以前、嬉野で見た白梅が目から離れない、白梅あれば是非、作ってみたい」と言われたので「白梅なら、何とか努力してみます」と応え、帰宅した。

 北島さんは、第二次世界大戦で海軍航空隊に入隊され、その部隊を雄飛隊と呼んでいたので、よい花が咲けば「雄飛」と登録したいと常日頃から考えておられたそうだった。数日後、「白梅」を採取登録された嬉野町の福田省三さんを訪ねた。

 花を求めるときは登録者のもとへ足を運ぶのが私の常識であった。ところが、残念なことに見せてもらった白梅は枯死寸前の状態で、一礼して辞した。ほかに白梅を持っておられたのは、当時、嬉野の会計係をされていた中村栄一さんであった。中木四、五本を持っておられたが、蘭を大事に育てられる人だったので思案したが、思い切って訪ね、その事情を伝えた。「持って行ったらよかたい。早よう雄飛ば分けてもろうて、おとう(若者に対する呼び名)が思うようにしてくいやい」何事にも慎重な中村さんの意外な言葉に驚き感動していると「実は、今おとうが話したことが、よべ(昨夜)夢見たとさ、そぎゃんふうにおとうが言うて、うちに来たとば」と話され、中村さんのおかげで二篠を分けてもらい、その足で北島さん宅へ向かった。

 白梅を携えてきた私を笑顔で向へてくれた。すぐさま二鉢を抱えてこられ、雄飛三篠を頂戴した。もう一鉢は、「為五郎」と登録してある紅無点の花で、これはお礼として頂いた。思えばあれから三十余年、記憶は鮮明に残っているが、山下さん以外の方々は故人となられ、北島さん、中村さんとの約束は果たせないまま、時を経てしまった。

 私は請われたら断れない性格である。雄飛の噂を聞いてか、近くの蘭仲間や懇意にしている薩摩、球磨、土佐などから求められ、現在の雄飛は小木数篠が残っている状態である。

 私から出た雄飛は正真正銘のものだが、無銘品が白西平の登録品として横行しているのが残念なことだ。

 果たせるかな、産地でない関東、関西への出品が・・・。まずは、貴会の渋谷会長の和遇を得て、平成二十一年 日本一をはじめ、雄飛の花付きがないので、雄飛系の花三鉢を出品して、高く評価してもらったことと。それが何よりも肥前寒蘭の一端を知ってもらったことに意義があっと思っている。

 お世話になった渋谷会長に、その雄飛系三鉢を置き土産として残してきた。同会長は、蘭作も咲かせ方にも名の通った方である。平成二十年に分譲した「力王」三篠。まだ花はこないであろうと思っていたが、その翌年早々、力王に立派な花を咲かせ出展され、衆目を受けられたことは目新しいことである。近い将来、これらが関西寒蘭会の展示会に並ぶとき、肥前寒蘭の先人達から喜んでもらえるだろう!と思っている。これが、肥前寒蘭の発展に少しでも寄与できたことが私の喜びでもある。

嬉野肥前愛蘭会会長

関西寒蘭会顧問

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六月からサンデー毎日
宗行 正明

 今年六月に定年で退職しました。時間が好きなように取れて何でも束縛されずに出来ると思っていましたが、なかなか思うようにいきません。やることは、前もって計画をたてて強い意思を持ってやらないといけないことに気づきました。自由に使える時間がありすぎるため今日はこれをやると決めて強い意思を持って実践しないと小生の場合は駄目なようです。小生、趣味としてやっていることが2つありまして、1つは蘭の栽培、もう1つは山登りです。今年もうちのと5月に四国の石鎚山、8月に白馬岳に登ってきました。今まで、百名山と呼ばれる山には四十数座登っています。これからも楽しい山登りを続けるために、体力が若いときのように馬力がでなくなっていくことを考慮して退職後、毎日最低一万歩、歩こうと決め実践しています。一万歩は約6キロ、1時間半ぐらいの歩きです。それに週一回家から近くの甲山に登っています。ドアツードアで3時間半から4時間ぐらいの距離ですが、これらは体力維持のため続けようと思っています。

蘭も趣味者が憧れる超希少品の銘品は誰かが咲かせて下さるのではないかと思いあまり手に入れて育てようとは思いません。(実際、超希少品は値段が高くて手が出ません瀨瀨) 余程気に入ったものでない限り手に入れていません。銘品それよりも無銘品の中から1つでも自分が好きな自分しか持っていない花が咲くことを夢見て、今まで通り希望が持てそうな蘭を求めて集めていきたいと思っています。

山登りも蘭栽培も気力が必要でこれからも好きなことをやるために、1日一万歩、万歩計を身につけながら歩き続けたいと思っています。

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心を癒す 寒蘭とさじたにばなし(四)
中西 昭彦

 「室戸錦」は“大好き”と言う趣味者は多いと思います。私も其の一人です。少し立葉性ながら葉幅を引きキッリと引き締まった葉姿の上に、高々と大型の紅紫の花を咲かせる様は、正に寒蘭の横綱と呼ぶに相応しい花だと思います。葉姿・花色・花間・大型で平肩咲・葉上に高々と咲きあがる様は「豊雪」や「日光」、「白妙」とは違ったかたちで、私の心を捉えて離しません。此花には、「小室戸」と呼ばれる少し小型の種があります。栽培が難しく、肥培管理をしてもなかなか大きくなってくれません。最初の頃はそれが分からず、随分苦労をしました。そんな折平成十四年十一月、渋谷会長から譲ってもらったのが本来の「室戸錦」でした。

 それから二年後の平成十六年、その「室戸錦」が本花会で、初めて総合優勝しました。同じ年の十一月長女が結婚したので、本来なら一本立てに仕上げるところ二本立てにして出展した思い出があります。あれから早や八年の歳月がながれました。さぞやりっぱな株立ちになり、毎年のようにすばらしい花を咲かせてくれているものと思いきや、さにあらず。この株にはこの位の肥料を与えても大丈夫と過信したのが災いして、すっかり傷めてしまいました。一時は枯れるのではないかと心配していましたが、どうにか持ち直し、当時の六割程度まで回復しました。今年は小さいながらも久方ぶりに花を付けてくれそうです。しかし、寒蘭とは栽培者の心の有様をゆっくりと時間をかけて表現してくれるものだなあ、と妙に感心しています。

 山崎蘭草会に長田さんという大ベテランの会員がおられます。この方が昨年の展示会に、それはりっぱな「室戸錦」を二鉢出展されました。惚れ惚れするような花で、「室戸錦」はこうでなくては!と思ったものでした。本人はどちらかが「室戸錦」で片方が「緋燕」だが、どっちがどっちか判別がつかない。皆に見てもらって意見を聞きたい、との事でした。「室戸錦」には「小室戸」以外にも「緋燕」もあると言う事でしょう。さて、貴方は一目見てどれがどれだか分かりますか?

 寒蘭は南の国で様々に語られ、時には金儲けの対象にされながらも、人々の心を癒してきたのだと思います。これからお話する、さじたに話も寒い日本海近くの国で人々の心を癒し温めてきたのでしょう。蘭にも昔話にも共通する心の癒しがあるように思います。

 ののこの上にかたびらを

 あのないや、むかし、むかしなあ。

 さじのおやじが用瀬の市に出かけた。市というのは、大節季(歳末)の大市のことだったと思われる。何分寒中の事でもあるし、寒くないように、どうぶく(綿入れはんてん)を着込んで、まんだ、その上に夏のカタビラを着て出た。

 毎年のように、立店(たちみせ)も並んで町中は市人(きちぅうど)で賑やかだ。佐治のおやじも、ぞろぞろ歩いて市を見てまわっていた。町角に八卦見が居った。その前に立ち止まったのを見て、易者が「おい、おやじ、夏冬が一時(いっとき)に来たかいや。ののこの上にカタビラを着とるがいや」といってひやかした。ところが易者の目が片目潰れていた。

 それを見て、おやじも負けてはいなかった。「おい、ごてい、朝と夜(よさ)が一度に来たかいや、明(ええ)た目もありゃまんだ寝とる目もあるやあなが」とじきに言い返したという。

 

 さし鯖

 あのよう、むかし、むかしなあ

 昔は道路は悪いし、山奥の村の者はほとんど海魚(うみざかな)を見ることもなく、もちろん、食べる事も難しかった。それでも 、鯖の腹を割って塩をした刺し鯖は、盆の市でよく買って盆の行事にも使い、家中で食べていた。

 あるとき、田舎のおやじ連中が四~五人連れ立って伊勢参りをやった。長い日数を歩き続けて、どうにかたどり着いて五十鈴川の傍にでた。 「やれやれ、ありがてえことにゃあ、まあ、みんなが元気でよかったわいや。よう拝まあぜ」「まあ、先にお清めようせにゃあ、いけん」そう言って、五十鈴川の美しい流れから口をすすいだり手や顔を洗っていた。そこに、鮎がピョンと飛び上った。川の中にも泳いでいるのが見える。

 「ありゃ、なんだらかいや」「なんだあ、ぼこう大けえ魚だったが、鯖じゃねえだらあか」「うんにゃ、鯖ちゅうなあ、腹あ割って、塩をよけえして、、二つ一緒になっとる筈だけえ、ちがうがよう」ると、もう一人の物知りは「うん、ちがう、ちがう、鯖ちゅう魚は、竹の串う飲み込んで泳ぎょるにちげえねえが、こりゃ鯖じゃあねえわいや」刺し鯖しか見たことのない皆は、「うん、違う、違う」と言いながら、賑やかに旅を続けたという。

 

  庭ほめ

 さて、昔 田舎の村に、大そう立派な築山のある家があったそうな。

 これを聞いたさじの奥の与太さんと言う人が、見せてもらいに出かけた。あいにく主人は不在で奥さんが一人だったが、お茶や、茶菓子をだして もてなしてもらい、話しながら見せてもらった。

 「なんと、お内儀(かみ)さん、こりゃあ噂に聞いたやあにどえれえ立派な築山でごだんすだが、でえぶん費用がかかっとりますだらあやあ」と、お世辞を混ぜてほめた。「うんにゃ、そげえ大した事じゃ無えけどよう」「なんにしても、こりゃあてえしたむんだが、誰に頼みなっただらあ、どげえにして築いてもらわれただらあ」「どげえしたちゅうは無えし、誰れ彼れちゅうぢゃ無しに、隣りまわりのこうへいな衆が皆んなやあに、してごされて、こしらえたむんだがよう」見たり聞いたりした事を、家に帰って妻君に話して聞かせて、利口なおかみさんだと話したそうな。

 数日たって、与太さんの妻君が縁側で子供に乳を呑ませていたところ、用瀬の商人(あきんど)がやってきた。愛嬌振りに、「こりゃ、なんちゅう良い子どもさんですいな。おおね、どげえすりゃあこげえな、良い子ができるだらあ」と、ほめちぎった。すると妻君もこれは上手に返事をしてやりましょうと思って「なんが、そげえに、どげえもすりゃあせんけえど、誰れの彼れのちゅうは無え、この隣周りのこうへいな衆が来て、みんなやあにして、こしらえてつかはっただが」と、まじめな顔をして答えて、大いばりであったという。

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自作の加温室
渡辺 交

 寒蘭は春蘭と違い、冬の間加温することで促成栽培が可能です。秋に外したバック木を促成すれば春までには新芽が出ますし、新芽の生育が遅れた株も春には木が完成してくれます。このことを知った私は驚くと同時に、加温栽培に挑戦したくなりました。

 私の師匠は温室を使っていましたが、アパート暮らしではスペースの確保が問題となります。理想は室内用ガラス温室を購入することですが、引越しのときガラスを割ったりせずに運ぶのは難しいでしょうし、三百鉢も蘭があるのに温室の梱包にまで手が回るとも思えません。この案はあきらめざるを得ませんでした。

 しかし、加温栽培自体をあきらめた訳ではありません。そこで引越しが簡単な分解式の室内温室を作ろうと考えました。最初に思いついたのは、ホームセンターで売っているビニール温室です。大きさにいくつかタイプはありますが、組み立ても収納も簡単で、値段も数千円と安価です。しかし、骨組みが貧弱で、あまり重い鉢は置けそうにありません。サイズ的に蘭掛けがうまく収まるか微妙ですし、電気代も不安要素です。ビニール一枚の保温性には限界があるので、二重、三重の保温対策が必要になるでしょう。

 それから良い案はないかインターネットで探していたところ、クワガタムシ用の自作温室の作り方を紹介したサイトを見つけました。厚い発泡スチロール板で温室すべての面を覆い、内張りに銀色の保温シートを張った温室で、保温性を第一に考えたものです。発泡スチロールは非常に断熱性が高く、加工も容易でおまけに軽いという優れた素材です。これを参考に、蘭用にアレンジを加えて設計してみました。

 発泡スチロールを全面に張るので、当然中は見えないし、光も外からはほとんど入りません。そこで観賞面はあきらめて、光は植物育成用の蛍光灯を使いました。蛍光灯も色々種類があるのですが、赤の波長が多く、育苗に最適というビオルックスAという商品を選びました(ちなみに、青の光は植物の徒長を防ぎ、葉を厚く、茎を太くする効果があります)。なるべく加工しなくてすむように、温室は発泡スチロール板のサイズを基本として設計しました。サイズは床が九十センチ四方、高さが百八十センチ程度で、四号鉢ならば四十鉢程度収納可能な大きさとしました。温室の強度を確保するため、ホームセンターで売っているイレクターパイプで骨組みを作り、そこに発泡スチロール板を固定していく方法を採りました。発泡スチロールは厚さ三センチのものを使用し、分解を可能にするために発泡スチロール同士は接着せず、隙間は保温シートの内張りで温度が逃げないようにしました。結露が心配だったので、水滴が落ちても床にこぼれないように、温室の下にはビニールを敷きました。

 発泡スチロールの加工は専用のカッターもありますが、カッターナイフで十分です。切り口が少し毛羽立つのが難点ですが。発泡スチロールの固定は針金を突き刺して、骨組みにくくりつけるだけです。扉は蝶番などは付けず、発泡スチロール板をはめ込むだけとしました。ストッパーが必要になると思っていましたが、扉を少し大きめに切ってはめ込むだけできちんと固定できました。内装は銀色の保温シートを発泡スチロールに貼り付け、保温と光の効率的利用の一石二鳥を狙いました。

 温室自体は完成したので、次は器具の取り付けを行います。ヒーターは室内温室用のプレートヒーターを採用しました。ヒーターはサーモスタットという機器に接続します。これには爬虫類飼育用のサーモスタットを使いました。これ一台で昼と夜それぞれの最高・最低温度はおろか、照明の点灯時間も制御できる優れ物です。それから湿度保持用の小型の加湿器と、空気循環用の小型の扇風機をセットしました。加湿器はタイマー付きコンセントで一日に四回、一時間ずつ作動するようにしました。扇風機は照明のコンセントにつなぎ、蛍光灯が点いている間だけ作動させます。設定温度は昼間二十五度、夜間十八度で、照明は十六時間点灯としました。試運転をして動作を確認した後、蘭を運び入れました。

 加温する寒蘭は、フラスコから出して間もない交配種と、バック吹かしが主なものです。十二月上旬に加温を開始したところ、約一ヶ月で生長を開始し、秋に外したバックも三月に新芽を確認したので、当初の目的は達成できました。設計時は寒蘭のことしか頭に無かったのですが、春蘭の開花調整にも活躍してくれたので期待以上の成果を挙げました。製作費は機器も入れて四万円程度と、ガラス温室の半額以下です。ちなみに月にかかる電気代は八百円程度でした。

 加温室を作って今年で二年となりましたが、試行錯誤が続いています。この温室は寒蘭の花茎伸長用にも活躍してくれそうなので、今後挑戦していきたいと思います。

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関西寒蘭会会誌編集部

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