初代会長 井上隆四郎氏の原稿を会誌「素心」より再掲載します。
蘭と初めて逢いし頃
井上隆四郎
自分が蘭と出逢ったのは昭和の初期で寒蘭並びに中国春蘭も数少なく、培養している者も僅かで、特に阪神地方では珍しい植物として取扱われていた時代。寒蘭界は武陵・桃源時代で桃源は当時福岡の岡本彦馬氏が培養されて居って、これが最高稀貴品としてあがめられ私なんか見るチャンスもなく、唯語り草にしていたものだ。今日の寒蘭界は各地に珍品が続出してその美を競い今昔の感に堪えません。
当時(昭和十二年五月)東京上野美術館で満州国建国を記念して日満華東洋蘭大展示会が開催され、花物出品は少く蕙蘭主体だった。白分は柄物は培養していたが逸品はなく、やむ得ず九華「江南新極品」が花五本あがり見頃だったので出品し、大臣賞を獲得して帰った。
この木は須磨の資産家で盆栽の愛好家だった田中と云う人から譲り受けたもので末だ日本にはこの木しかなかったのである。
この事が神戸新聞で大々的に写真入りで掲載され話題となり、当時末だ大丸・そごう共大百貨店でなく、元町で小規模の店だった時代で、現在の三越百貨店で一週間にわたり展示されたのである。その後天皇陛下が神戸地方行幸の際、神戸駅の貴賓室で御休憩になり、盆栽と併せて蘭一鉢を出して欲しいとの要望が当局からあり蘭を出したことがある。その蘭が寒蘭であったか九華であったかは覚えていない。現在では想像も付かない時代だった。
その後永い歳月を経て昭和四十六年十一月十四日拙宅で寒蘭の展示会を開催し、その席で現在の関西寒蘭会が有志で生まれ、十一年を経過して今日の隆盛なる寒蘭会に育ったのである。
会誌「素心」の歩み (21号-29号)